で、なんで今度は「号数」だけなん?

椹木野衣の著書に

というのがあって、その第3章の2には「ティアマート―皮膚の下の大蛇」という文章がされている。人はなぜ皮膚の上にさらにレザー(革)を重ねたり、タトゥーを施すのかといった問題を、ジョン・ゾーン、マドンナ(+JPG)、ディマンダ・ギャラスを例にキリスト教を絡めながら論じる。つまりはインテリジェンス溢れる、「バッドテイスト/悪趣味」でいえばバッドテイストの方に分類していいものだと思う。
ん、でも、この文章の初出を辿るとちょっとばかし印象は変わってくる。巻末の初出一覧にはなぜだか

別冊宝島146号」と号数だけがてあって、そのタイトルがない。この「変態さんがいく」は

『124 セックスというお仕事』『174 ワイセツ大行進』『155 みんなの不倫』等の「性」を扱ったシリーズの一冊で、この版型のころには珍しく「〜〜2」なんていう続編
変態さんがいく (2) (別冊宝島 (320))

変態さんがいく (2) (別冊宝島 (320))

が出ていて、それには村崎百郎「レディスコミック界の女王様と呼ばれて 森園ミルクが描く『Beehive』の超高度SMプレイが収録されている、まさに因果なムックである。ただ続編といっても、そのテイストは上記の流れででた『1』と、『250 トンデモ悪趣味の本』の流れで出た『2』と比べれば、前者は若干「BD」方向に後者は「悪趣味」方向に針が振れているといえないこともないのだが、この「ティアマート―皮膚の下の大蛇」(初出時題名「ヘヴィ・メタリストとボンデージマニア)」では、単行本収録時に削られた

入れ墨やピアッシングが流行っている。
もともとそういうのは嫌いではないので、そんな女の子を見るのは好きだし、カジュアル・ファッションは嫌いなので、歓迎している

で始まる前ふりと

それくらいのことは日本人もできるようになってほしい。ファッションにしか生きられないのであれば

で終わる〆が削られていて宝島臭をデオドラントしてあり、文末に

★なお、三次元座標系と四次元座標系とのあいだの認識論的変換に関しては、他界した松田義朗の『位相構造論』を参考にした。この驚異的な書物については、いずれあらためて紹介する機会があるだろう

を加えることによってより高尚風味が加わっていることから、編集側の思惑だけでなく、やっぱり著者にもどっか「変態さんがいく」てなタイトルを避けたい意図があったのかもしれない。
その辺もジューブンと因果な仕業だなぁと思う。