まさに転がる「STONE」な雑誌

この時の一番上の写真にちょっと後悔があって、せっかく大きさを比べるんなら、小泉徹(北山耕一)編集の宝島じゃないといかんのやないか、と。
てこって買ってきた


特集は「君は石である」。
その巻頭言

石とはSTONEのことである。これはしかし、いまや、ぼくたちの生活形態を指し示すことばである。転がりゆく石のごとく、絶えず変化しつづけ、しかもその変化そのもには、急激で、変化そのものを押しつぶし、一つの体制をつくりあげてしまうような断絶はなく、連続している。ある人は、この状態を、不連続の連続と呼ぶ―ぼくたちは、これを、石と呼ぶ。

の「転がりゆく石」はあきらかに、前身の「ワンダーランド」のモデルである「ローリング・ストーン」誌を意識してのことで、この号を貫いてるのは編集長北山耕一の「ロック」に対する熱き思いである。特に編集後記は現在の感覚からするとぞっとするほど「ロック」というもの対する期待と決意を感じる。


で、ふと思ったんだけど、北山以前の「ワンダーランド」→「宝島」の人たちってロックよりジャズな人たちだと思う。
※特に高平哲郎に関してはそうなんだと

ぼくたちの七〇年代

ぼくたちの七〇年代

読んで思った。


で、とあるバンドの新作に関する文の中に「おちついてしまった70年代」なんて言葉が使われているんだけど、ご存知の通りこの号が出た後に「パンク」が登場して「おちついて」どころではなくなるんだけど、そのパンクを境に「宝島」は北山の手を離れ、アメリカ(といっても東海岸と西海岸)からイギリス(特にロンドン)にシフトしていく。んで、そのパンクがファッション化していくのに宝島がシンクロ(というかリード?)していくってのも面白い。