雑誌のガタイその2 ワンダーランド

てこって『雑誌のカタチ』の「『ワンダーランド』新聞+雑誌のハイブリット」について

この章で取り上げられているのは

実際、その月刊誌が『ワンダーランド』の名を持っていたのは1973年8〜9月号の二ヶ月間だった。つまり『ワンダーランド』はバーンと二号だけ出ただけなのだ。その後は『宝島』と誌名を変えて翌74年2月号(通巻6号)をもって休刊。が、同年6月に版元を変えて四六判ペーパーバックマガジンとして復刊・・・。そしてその後の「『宝島』と云う雑誌」が現在に至るまで描き続けた軌跡は、もはやここで語るには複雑怪奇すぎる

といううちの晶文社から出てた『ワンダーランド』×2+『宝島』×4冊だけである。それ以後の「宝島」はひとまず対象外。


ちなみに著者山崎浩一が『宝島』85年1月号の「なぜなにキーワード辞典」で『宝島』を取り上げて、

【1】誌名が1回変わった
【2】版元が1回変わった
【3】版型が3回変わった*1
【4】定価が3回変わった
【5】編集長が9回変わった*2

というようなことを書いているのだが、こと編集長にかんしては「だれなのかもはっきりしなかった」というのが真相らしい。ゆえに山崎はこの雑誌を擬人化すると

顔が植草甚一で、頭が津野海太郎で、心が片岡義男で、身体が平野甲賀

となると書いていて、これってこの雑誌のとらえどころないキマイラな身体性をみごとに言い表していると思う。
で、この『ワンダーランド』はガタイが良い・・・つまりはデカいってのも特徴の一つだ。ただ、そのデカさにも特徴がある。現在の大版の雑誌がビジュアル中心で文字量を減らす傾向があるのに対して、この雑誌は全く発想が違っているのだ。津野は、もともと日本版『Rolling Stone』を作るためのスタッフが出発点だったという前提の下、この雑誌の大きさと文字量に関して

新聞活字を一段30字くらいでびっちり組むと、16面で長編小説まるごと入っちゃうくらいのボリュームがある。それに新聞活字は漢字仮名交じり文の濃淡を均質化してくれて欧文の紙面に近いグレートーンのイメージが出せる

と語っている。そんなはなから普通の雑誌を創ろうなんて気がなかったということなのだ。そりゃ、ぱっと開いた大きな一頁にゴチャゴチャガチャガチャいろんなもんが詰め込まれているのだから、ある種の人にとってこの雑誌の登場は衝撃的だったに違いない。


また、その衝撃に一味加えたのが発行元が晶文社だったからだったのではと山崎は言う。日本版『Rolling Stone』を目指すとなれば、当然いわゆる「カウンターカルチャー」の一翼を担うこととなるのだが、これを「左翼」系出版社とはあきらかに醸し出す香りが異なるところが出したというのがミソらしい。この辺は当時小学生だった僕には若干ピンとこないものもあるが、あのサイのマークの持つ雰囲気は今でも充分独特のもんがあるは何となくわかる。
※大学の生協の本屋の棚に

四重人格

四重人格

が並んでた時の「なんだ、これ?」感はちょっとひとことでは言い表せない。



そんなこんなで出発した『ワンダーワンド』であるが、通巻6号で、(公式的には)オイルショックのあおりを食らって、この新聞と雑誌のハイブリットを目指した目論見は潰える。そして、新たな『宝島』はその顔・頭・心、ガタイの大きさ、出版社を変えて再出発することになるのだが、その新しい、そしてチッチャい宝島に異常に思い入れを感じてる人間が1993年に搾り出した雑誌が『クイック・ジャパン』である。

*1:上記写真にはJICC初期B6変形版が無い

*2:この時の記述では植草甚一(責任編集)・片岡義男高平哲郎・小泉徹・石井慎二・大西祥一・石井慎二・磯島慎太郎・関川誠