雑誌のガタイその3 クイック・ジャパン

で、QJこと『クイック・ジャパン』である。
*1
そんでもって、やはりそのガタイの大きさが問題になるわけで、ひとまず、今書店に置いてあるより一回り小さい版型↑↓でQJは出発する。
*2


『雑誌のカタチ』のインタビューで、赤田祐一はその大きさについて、

もちろん僕自身の雑誌原体験がB6版の『宝島』*3だった、ということはあるでしょう。でも、雑誌を構想した時点では、すべてを白紙に還して『宝島』のことも忘れて、あらゆる出版物の可能性を考えていたんです。あの体裁も『宝島』よりも、むしろ片岡ユズルさんが編集した『ビート詩集』*4という単行本に触発された部分が大きい。三段組の脚注入りフォーマットは、やっぱり山崎さんの『なぜなにキーワード図鑑』(笑)

なんて答えている。ただ、ネットで検索して『ビート詩集』の画像を見てると、全然カタチが違っているし、その三段組脚注入りフォーマット
*5
を創刊準備号で使用しているのが、当時の宝島編集長である小泉徹こと北山耕一のインタビューの頁だけ*6

だったりするんで、これを素直を受け取るわけにはいかんような気がする。だいいいち、赤田は『サブカルチャー世界遺産 (SPA!BOOKS)』のインタビューで

僕、宝島社に入りたかったんですよ。学生時代にちょっと原稿書いたりしたこともあったし、植草甚一さんや、北山耕平さんの頃の「宝島」って憧れだったんですよ

とまで話してるんで、とてもじゃないが「すべて白紙にして」ってことにはならんだろう、と思う。


まあ、そんなこんなで赤田の思いがこもるだけこもった初期QJのガタイの大きさ=B6版は諸般の事情からA5版に変更になる。
小さすぎた『QJ』が少しだけ大きくなった時のガタイの大きさと、大きすぎた『ワンダーランド』(『宝島』)が思いっきり小さくなった後に少しだけ大きくなった際の大きさとが同じというのも、何かの縁、いや因縁なんだろうか。




おおおおっと、これは同じ宝島でも『宝島30』だった・・・ま、これもおんなじおおきさだからいいっか。

*1:写真は編集長の自費出版による創刊準備号とJICCに移った『宝島』

*2:写真は第1号と6月9日あたりまでやたらと書店に並んでた号

*3:僕注:JICCに移っての宝島

*4:

ビート詩集 (1962年) (ピポー叢書)

ビート詩集 (1962年) (ピポー叢書)

*5:『宝島』81年1月号「なぜなにキーワード図鑑』。ちなみに冬樹社からの単行本は、このフォーマットにならっているが、新潮文庫版は違っている。もし古本屋等で確認したい方はご注意を

*6:というのはウソで康芳夫のインタビューもそれ