繰り返す(ノン)ポリティカル

あの紹介はまるで故意だね。


先月の末ごろ

これをチェルノブイリ事故以前の82年に掲載してた『ララ』(白泉社)ってすごい。少女マンガ誌恐るべし。三原順「Dei Energie 5.2☆11.8」(花とゆめCOMICS『夕暮れの旅』所収)
これをチェルノブイリ事故以前の82年に掲載してた『ララ』(白泉社)ってすごい。少女マンガ誌恐るべし。三原順「Dei Energie 5.2☆11.8」(花とゆめCOMICS『夕暮れの旅』所収)

なんていう、正直不誠実なツイートが話題になった。
ブクマではid:D_Amonさんの

スリーマイル原発事故から三年後ゆえの台詞。この漫画は現在を予言したのではない。人間が同じことを繰り返すから予言となったのだ。ゆえに歴史に学ぶのが大好きっ子なみんながなすべきことは明らかというものだろう

id:ululunさんの

TMIって書かれているようにスリーマイル島の事件を受けて描かれているもの(とwikipediaに書いてある)なのでチェルノブイリ前なのは当然といえば当然の事。予言でもなんでもなくて「当時からそうだった」ってだけでしょ

など適確な指摘があったものの、「チェルノブイリ以前」を鵜呑みにしてるものも多数見られた。
引用された頁にも「TMI事故」という言葉が見えており、その一つ前の頁(23頁)には


TMIスリーマイルアイランド・79年に原発の大事故がある

といった注釈がついているのだから、あきらかに「チェルノブリリ以前」ではなく「スリーマイル島以後」の「ずっとそうだった」についてのマンガなのである。


ちなみにこの前年の暮れにはJICCから

が出ておるわけで、このタイミング入手出来てれば、「ずっと前から宝島は反原発推しだった」なんてエントリ*1があげれたのだが、ネット上の古書価があまりに高くて、広瀬隆の本にそんなに費やしたくないんで止めた。


さてさて、その替わりと言ってはなんだが、「広瀬隆のアレ」が大ブームを巻き起こしたころに、80年代後半の「宝島」の主要ライターの一人山崎浩一が書いたコラムが、まさになんかいろいろ「繰り返し」てんだなぁという気にさせてくれる。

退屈なパラダイス

退屈なパラダイス

に収録された「安全神話と危険神話を越えて 反原発異論」がそれで。山崎浩一がムードとしての反原発に対するイヤミに字数を大きく割きながら、最後に「コンサバな文化人やジャーナリズム」が打ち上げた「反反原発」に対しての違和感を表明するってな、この一ヶ月読んだような読んでないような内容なのであるが、〆の言葉

こういう時こそ「反原発/脱原発」が単なるトレンド以上の力を獲得するチャンス到来・・・だと思うんだけどなぁ。ま、なんにもしてないヤツには、こんなこという資格はないか

が始めて読んだあのころと違ってヒジョー胸に刺さる。
※たぶん「チャンス到来」はロックの桜と一郎といわれたあのグループのヒット曲とは関係ない。