そこに手塚はいるか

ヤフオクに「オススメ」にWBC日本代表「侍JAPAN」のレプリカユニが表示されていた。ヤフオクのオススメの基準はamazonよりさらに意味不明なのだが、この「侍JAPAN」ってことば(というか概念?)自体もけっこう妙である。である。ここでいう「侍」ってイメージやメンタリティは新渡戸稲造らが捏ち上げた「武士道」の延長線上に存在してるといって間違いないと思うのだが、当の新渡戸が野球排斥の急先鋒で、「野球は巾着きりの遊戯」と評したことはちょっと野球の歴史に興味がある人なら周知のことだからだ。
なんてことを偶然(ほんとに!)読みかえそうと思って積んでた

戦後野球マンガ史―手塚治虫のいない風景 (平凡社新書)

戦後野球マンガ史―手塚治虫のいない風景 (平凡社新書)

の第一章を思い出しながら考えた。
この第一章の「野球排斥」勢力の紹介は、そっち側の言い分を

今となって見れば、ギャグに思える批判であったりするのだが、その後起こっていった青少年問題の因果関係による批判、「グループサウンズは青少年を不良化する」「マンガは子供をバカにする」「ポルノコミックは子供を性犯罪に走らせる」などなど、とも通低するもの

と斬って捨てるためと言ってもいい。野球に限らず、音楽(特にロック)やマンガやんかはとっくにそっち側に利用価値を認められていて、「ポルノ」がそうなる可能性を考えれば、これらを並列するのはどうかとは思うのだが。

例えば「リボーン」は手塚的か否か

それはそうと、もともと込められた熱量に比べてずっとクールに感じられる米沢の文章(例『戦後SFマンガ史』『戦後エロマンガ史』)ではあるが、その中でもとりわけ冷ややかな感じをうけるこの新書のサブタイトルは「手塚治虫のいない風景」である。
終章で、野球マンガに代表されるスポーツマンガのストーリーの構造を分析することで、手塚的なストーリーマンガとの違いを説明しているのだが、ふとその部分を読みながら頭をよぎったマンガがあった。

家庭教師ヒットマンREBORN! 34 (ジャンプコミックス)

家庭教師ヒットマンREBORN! 34 (ジャンプコミックス)

である。この最新刊をなぜ僕なんかが読んでいるのかを説明するとメンドクサイことになるんで省略するが、この作品は妙にジャンプの過去の作品にオマージュを捧げていて、登場人物にスーパーカーの名前(ランボ、ディノ、ランチャー等)を使用しているのは『サーキットの狼』の、「餃子牛丼セット」の二人は『キン肉マン』の、野球と剣道を両立しているのは『侍ジャイアンツ』の、ボクシングは『リングにかけろ』(さらに上記の剣道にしたって志那虎)にリスペクトしてのことだと思う。そもそもこのジャンプ伝統のエスカレートする戦いってのは『アストロ球団』の「一試合完全燃焼」の継承だろうし、ダメな主人公が努力によってよきリーダーとなっていくってのは『キャプテン』『プレイボール』の亜種だ(谷口タカオは青葉の2軍の補欠であってもダメダメではなかった)。僕のよーく知ってる人以外のある勢力のご婦人の“こんなにハマったのは『スラムダンク』以来!!”というご意見をネット上で見かけるというのは・・・おそらく関係ないだろうが、そのストーリーの展開が必ずしも主人公(≒ヒーロー)に集約されるような構図にはなっていない。ただ、その割りにはその世界観が手塚的な

様々なスター(キャラクター)たちがからみ合うことで生まれていく物語を核に、ストーリーの面白さ、世界の広がりを描こう

とした姿勢ともどっか違う印象を与える。たまたま僕が『家庭教師ヒットマンREBORN! 』を手に取る機会があったからそう思っただけで、おそらく今現在の少年マンガのいくつかを米沢がこの新書で「手塚的/非手塚的」と分類したものとは違う・・・あ、何をいまさらのことを言ってるおるのだ。こういうことではないか


ヤフオクのオススメのせいで、こんな全くムダなエントリに時間を使ってしまった。

戦後SFマンガ史 (ちくま文庫)

戦後SFマンガ史 (ちくま文庫)

戦後エロマンガ史

戦後エロマンガ史