ノーパー/ノーパン/ノーガン


いい加減本部屋を整理せんといかんちゃ!と思って、バラバラになってた文庫をそれぞれの段ボール箱につめていたら、『野獣死すべし』の文庫カバーを魅入られてしまい、またまたオカタツケは後回しになってしまった。
おそらくこれからどんな映画ジャケ文庫が登場しようと、僕の中で男女ペアの1位を譲らないだろうと思われるこのジャケ写、改めてじっくりと眺めるといろんな意味が読み取れることに気づかされる。
まずは松田優作の頭髪。『越境者 松田優作』によれば、優作の髪形は基本、この本の著者で前妻の松田美智子の手によるもので、「太陽にほえろ」世代では定番と思われるパーマも彼女があてていたそうだ。そんで

優作が全くパーマをかけなくなったのは、私との関係がぎくしゃくしてきた『ヨコハマBJブルース』からで、以後は本来の直毛のまま

だったとのことなのだが、この『野獣死すべし』はその『ヨコハマBJブルースのいっこ前の出演作*1なので、そのあたりのこともちょっとだけ透けて見える。
クランクイン前の「映画化決定」のジャケ写


と比べると、あきらかにパーマがかかり具合が違っている。伊達邦彦という役柄にあわせての髪形の変化ということなのだろうが、上記の話とあわせて読むとさらに味わい深いものとなってくる。それに、元々「アクション俳優」という呼び名を快く思ってなかった優作が、アクション俳優およびGパンや工藤ちゃんというイメージ=パーマ頭ってのを払拭したかったというのもあると思う。それはその後の出演作(ドラマも含めてhttp://bit.ly/f0jqyI)を確認したら、さらに深くそう思う。いつまでもGパンじゃねーぞ、と。


んで、Gパンとくればノーパン。今回初めて小林麻美だけをじっくり、それこそ3分ほど眺めていて、“これってドレスの下何も着てないんじゃ?”という疑問がわいてきた。この写真では分りづらいんで、パンフレットを開いて

を確認して確信に変わった。ご存知の方はご存知のように劇中にはそんなシーンは全くない。それどころか、映画本編にはこのように優作と小林が交わるようなシーンも小林のセクシーさをことさら強調するシーンもない。だが、あの映画を実際に観たものがこの写真を否定することは難しいに違いない。だが、写真い下着のラインが見えていたらこれほどしっくりとはこなかったはずだし、これが全裸であっても同じだろう。この絶妙さが今なおこの映画を新たな熱狂を生み出す正しい意味でのカルト映画にしているのだ。


ちなみにこの写真を撮ったのは長濱治で、彼はパンフに「拳銃熱よ、さようなら」という文を寄稿していて、その中でニューヨークでヘルスエンジェルスを撮影してる時、ラリッたメンバーの一人がカメラにストロボに反応して実弾を彼に向けて発射した体験が綴られているのだが、おそらくこういうエピソードの持ち主だからこその起用だと推測できる。撮るのも撃つのもどっちも“shoot”なのだということを理解した写真がこれというわけだ。それを考えると優作の銃口が持つ意味の重さが変わってくる。まさにこの写真は二人のシューターの真剣勝負だ*2
起用したのがハルキなのか古澤氏すなのかは分らないが、ビジュアルイメージにこんだけの労力やガッツを使うところに、当時のハルキ映画の本気や狂気が見える。

*1:http://www.jmdb.ne.jp/person/p0187560.htm

*2:小林との相性の良さは彼のキャリアの初期がファッションフォトグラファーだったことによる。http://fotonoma.jp/photographer/2005_11nagahama/index.html