その時、別冊宝島は反原発推しだった

今日現在ヤフオクで「別冊宝島」と検索してみると*1、「AKB48推し認定証」がずらっと並んでいる。その『AKB48 推し! (別冊宝島) (別冊宝島 カルチャー&スポーツ)』によれば、「別冊宝島」は“サブカルの頂点”とのことだが、その昔、そのサブカルの頂点は反原発推しだった。

として文庫化された『別冊宝島81 推進か?廃炉か?決定版原発大論争!』がそうである。ムック版表紙の

電力会社の虎の巻
「内部資料
原子力発電に関する
疑問に答えて」に、
原発派の
論客15人が
総反撃!!

で充分その立ち位置は分る。
そんで、まえがきにあたる「本書を読まれる前に」の

反ゲンパツはただの流行現象だという批判がある。原発は日本の未来に関する重要な問題であり、もっと真剣に、もっと科学的に考えていかなければいけない、という意味なんだろう。
だが、最近、電力会社を初めとする原発推進派の人たちの中から、「事故は絶対に起こさないという信念で原発を運転していく」というような発言がしばしば聞かれるようになってきた。言葉の厳密な意味で言えば"信念"というのは科学ではなく、イデオロギーである。
このままでは、原発推進派と原発反対派の対立は"イデオロギー"対"流行"の不毛な闘いになってしまいかねない。このような無意味な対立を避けるためにも、今こそお互いが、公開の場で正々堂々と議論しあうことが必要なのではないだろうか。

という部分だけでもすごーく味わい深いもんがあるし、目次を眺めただけでも暗澹たる気分になる。


おそらく今から巻き起こるであろう「フクシマ」もしくは日本の原発の特殊化にかんしても、久米三四郎「二大原発事故を必死で非難する電力会社の破れかぶれの胸の内」での日本のチェルノブイリ評価に関しての矛盾―事故後の「ソ連原子力技術の低劣」アピールに反して、事故前は日本原子力産業視察団の有沢広巳の団長はソ連原発の「絶賛」

ソ連において、広大な基礎研究の上に着々と原子力開発に取り組んでいる様子をつぶさにみることができ…。これらの経験はわが国の原子力開発を進める上で大いに参考になる」

が先取りしてるとしか思えん。たぶん一番必死になるのはフランスだろうけど*2


宝島社ったらこのムックを復刊して、推進派チームAと反対派チームP*3の学者・識者をカードにして付録につければいいのに。