そういえばスカム

てこって、そういえば

宇川 (略)「GON!」は表層的な悪趣味にばかり向かってるようにしか見えなかった。悪趣味ってそういう認識じゃなくて、むしろ究極のインテリジェンスから生まれるものだと僕は思うんです。
―でも、村崎さんはすごくインテリな方ですよね。だけど、村崎さんの悪趣味と宇川さんが言うバッドテイストというのは大きく異なるもんだと思いますが。
宇川 それは「GON!」と秋田昌美さんの『スカム・カルチャー』(水平社)の違いでもあるんですよ

スカム・カルチャー

スカム・カルチャー

も取り上げてなかったのも持ってなかったから。
そもそもこの全く聞き覚えのない「スカム」。この本のあとがきに吐こう書いてある。

「SCUM」という言葉には「くず」とか「カス」とかの意味がある

ひとまず、このワンフレーズだけでは上の違いが全然見えない。でも、この後の

とりあえず、「スカム」というのは野放図なズボラ的概念である。つまり、「スカム」というのは、所謂「キッチュ」や「バッド」といった響きの良いタームが時代と共に済しくずしに崩壊してしまった後の人情味のある陳腐なヒューマニズム概念だ。例えば、語尾に「野郎」というのを「スカム野郎」と言えば人間の事で、最近、欧米で立ち現れてきた「CAD」(下司)なる最低人間のダンディズムを表すタームと同じような美学や概念に通じる事になる

ってのを読めば、その違いはまだよーわからんままなのだが、宇川のいうインテリジェンスは漂っているような気はしてくる。これは僕の乏しいインテリジェンスのせいなんだけど。
そんで、ぱらぱらと頁を捲ると、あきらかに「GON」よりは画数の多い感じと聞き慣れないカタカナ(多くの固有名詞含む)が多い。例えば「アート・アラウンド・TG」なんて章は

1976年10月18日、ロンドンのICAに登場したTGは当時のプレスに様々な受け止められた

なんてはじまり方をするんだが、このTGがスロッビング・グリッスルのことだと判るのにコーヒー一杯とタバコ2本が必要だった。
ふーー。
んで、ひとまず本を閉じて裏表紙の定価を見て、一番違うのは価格設定だななんて思ってしまった。