非ハルキ・ひろ子ジャケとハルキの失速


野蛮人のように (集英社文庫―コバルト・シリーズ)


紳士同盟 (新潮文庫)
紳士同盟ふたたび (新潮文庫)

ハルキ映画を離脱した薬師丸ひろ子が出演した映画ジャケ2発。
1985年〜1989年の映画配給収入ランキングによると『野蛮人のように』は『ビーバップハイスクール』と併映で86年度第2位(まあ、これは『ビーバップ』そのものと中山美穂の人気のおかげによるとこも)。『紳士同盟』は『ボクの女に手を出すな』とで87年の9位。そんでハルキ映画はというと、このころから興行成績を落としていき、90年の『天と地』がアレな方法で見かけ上大ヒット*1となるまで配収10億円を越す番組は作れなくなったのだ。それは何も興行成績や賞だけの問題ではない。『野獣死すべし』『蘇える金狼』等の心に残り、今なお新しいファンを生み出すような作品を作ることもできなくなって行った。『ぼくらの七日間戦争』と『幕末純情伝』があるにはあるが、これがもちょっと前のハルキ映画の勢いだったら、もっともっとBS・CSで再放映されてたり、リメイクされるなんてことになっていたはずなのだ。
その失速の理由の一つが、ハルキが自分が監督するようになって「正気のハルキ」の功績の一つである新しい才能の起用がなくなったというのは間違いない。単純にハルキ組によって一本その機会がなくなるというのもそうなんだが、村川透相米慎二大林宣彦和田誠井筒和幸崔洋一森田芳光のような才能のある監督でなく、その後監督のキャリアが上記の人とは比較できないくらいしょぼい人間を起用していった*2からだ。上掲の『野蛮人のように』の川島透、『紳士同盟』の那須博之、それから先日の『家族ゲーム』のチーフ助監督の金子修介と80年代前半ならハルキ映画で活躍したような人材はいっぱいいたはずなのに。ハルキの視界に入らなかったのか彼らから遠ざかっていたのか知らないが、そりゃあ勢いを失っていくに決まってる。