戯曲→小説→シナリオ ハルキ映画初の松竹配給作品

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シナリオ蒲田行進曲 (1982年) (角川文庫)

シナリオ蒲田行進曲 (1982年) (角川文庫)


蒲田行進曲 (1981年)

蒲田行進曲 (1981年)

扇田昭彦による小説版の文庫解説によれば

小説『蒲田行進曲』も、もちろん舞台が先行している。80年11月、つかこうへい作・演出により東京・紀伊國屋ホールで初演された同名の舞台をかなり忠実に小説化したものだ。はじめ『野性時代』81年10月号に掲載されたときは『銀ちゃんのこと』という標題だったが、単行本(81年11月)にするに当たり、加筆し、タイトルは舞台通りとなった

という、この『蒲田行進曲』でつかこうへいは第86回直木賞を授賞していて、ハルキ映画としては初の直木賞作品の映画化(直木賞作家というなら半村良戦国自衛隊』)である。
"初"というならば角川書店時代のハルキ映画"最初で最後"の「松竹配給」作品でもある。


そんで、その辺がふるっていて、タイトルの「蒲田」は戦前の「松竹蒲田撮影所」のことなんだけど作品の舞台は「東映京都撮影所」ということで、配給は松竹で監督は東映出身の深作欣二ってな具合*1。これだけでもこの時代のハルキはすげー正気なんだと思う。今だったら「このTV上がりが!」「TVじゃそーかもしらんが映画じゃ通用しない」ってなセリフが連発するってーのに平気で堤幸彦あたりに撮らせたりしそうなヤツがいそうだもん。

ちなみに『シナリオ〜』には貴重な第1稿が抄録されており、#1が「新選組」のではなくって、「実録もの」とおぼしき現代劇の現場の話となってて、最初つかが深作に気をつかったんだけど、その心配は無用とばかりに元に戻ったのだろうか。


とにもかくにも、ミステリー(ハードボイルド)やSFではない角川ハルキ映画では珍しいこの作品は配収17億という大ヒット(併映は『この子七つのお祝いに』)になり、日本アカデミー賞で7部門を独占、その他ブルーリボン賞報知映画賞ゴールデンアロー賞で作品賞を獲得する、名実ともにその年を代表する映画になったのだった。
それでもそんな評価よりも何よりも、角川三人娘(実質的には2枚看板+裏板)を擁して、その後もジャンルムービー、PG作品を製作し続けたハルキは偉いと思う・・・まあ単に『麻雀放浪記』まで良い原作が見つかんなかった田かも知れんけど。

*1:東映に却下されたかららしいけど