古臭くなってる、なってない

ひさしぶりの「別冊宝島」購入。
別冊宝島158 あぶない少女たち』(1992年7月発行)。
青少年のための江口寿史入門』もいっしょに。


それにしても、である。『あぶない少女たち』は17年も前に出されたムックである。17年といえばジャンヌ・ダルクの時代のドン=レミならオギャーと生まれた赤子がとうに嫁に行って子供の一人くらいいてるのが普通な年月であるが、そりゃあもう、誌面で「ナゴムギャル」(黙れ!ブス!で有名)なんてことばを目にすると17年一昔という言葉が実感できるもんだ。でも、目次には「愛されたい子供たちの自分探し」なんてタイトルが踊ってるし、ヤンキーやレディースの女の子たちは口を揃えて「地元が一番」なんていっておるし

自分探しが止まらない (SB新書)

自分探しが止まらない (SB新書)

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

このころもとある事件の影響で少年犯罪の「増加」だの「凶悪化」だのが叫ばれておったしで。なーーーんだ、ちっとも変わってないやん!という気もする。


それに比べて『青少年のために〜』の江口寿史本人のあとがき(江口寿史って「あとがき」だの「自作解説」だのは本当に楽しそうに書いてるよね)の

自分としては、好きな曲ばかり入れたマイテープ(古いね。今だとマイMDか、マイCD-Rか)を作るような気分で、気楽に編集してみました

って箇所は、僅か7年前なのに太古の風情を感じてしまうくらい古く感じてしまうでも、そんな製品の進化と移り変わりを扱った作品「KV-201XR」(90年発表)はちーっとも色褪せてないのだから、これまた不思議である。