映画の見方、それとも味方?
すみません。既に単行本二冊分の原稿があるのですが構成に苦しんでいるうちに多忙になってしまいました。でも、やります!
http://twitter.com/TomoMachi/status/28371153950
〈映画の見方〉がわかる本80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀 (映画秘宝コレクション)
- 作者: 町山智浩
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2005/12/20
- メディア: 単行本
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そんでもって、そんなツイートのことも忘れそうになったころにとある古本屋の新書がつまった箱の中から見つけたのが
- 作者: 瓜生忠夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1951
- メディア: 新書
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民衆といっても限定があった。その民衆は汽車やポンプにおどろいたりしては困る。少なくともスクリーンの世界を客観視する能力を持っていなくては、映画への興味をまともに体験することは難しいのである。こうして民衆のなかからは、ひとまず歴史的に停滞した、前近代的な部分が除かれなければならぬ。すると後に残る部分は……げんみつにいえばプロレタリアートであり、彼らを中核とした市民層を対象として活動写真の歴史は第二巻に移るのである
なんて文脈で語るなんていうゲージツ至上主義者のようなので、おそらく彼にとっては『映画秘宝』なんて唾棄すべきルンプロ雑誌に映るに違いない。
そんな彼が「前近代的」で「封建的」として槍玉に挙げてるのが、日本映画初期の「女形」の起用である。確かに『カチューシャ』*1みたく、女優松井須磨子が演じたものをわざわざ立花貞二郎に変えて製作するってのはどーにかしてるの極地ではある。しかし、それを
だがなぜ女優は認められなかったのか。風俗の頽廃などというのはもちろん表面の理由だった。女優禁止の真意は、広くいえば、封建制時の特色である「人間性の壓殺」を狙ったものであり、狭くいえば、最も大衆的な集会所である劇場で、(略)人間的自覚を失った人間像を社会にうちだしてゆくためのものであった
なんて口をとんがらすのもどーかと思う。まあこの当時は徳川時代が暗黒の前近代ってな認識がこの手のインテリゲンチャの共通するところだったとはいえ、いささか読むのがしんどくなってきた。
そんなこんなで一旦読むのを止めて、ほかにどんな本書いてんのかamazonで検索したら
- 作者: 瓜生忠夫
- 出版社/メーカー: 報知新聞社
- 発売日: 1969
- メディア: ?
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案外良いおいちゃんかもしれんやんともう一度最初からトライする僕であった。