正しいトンデモの集め方、扱い方

と学会の本を定価で買わなくなって何年たつんだろう。というか、ここ数年は定価の半分でも手に取ることはなくなったような。内容に興味が持てなくなったことも理由の一つだけれど、2年ほど前にと学会の運営委員の一人(僕もかなりのファンだった)が「ミイラとりになりたかったミイラ」だったことが発覚し、彼の処遇にかんするグダグダがかなりトンデモだったというのが大きいのかもしれない。


そんなところに出た

神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか

神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか

が実に楽しい本だった。著者は虚構の皇国の早川タダノリで、この本は彼の戦前・戦中のコレクションを面白おかしく紹介したものである。思うに、と学会もコレクター集団だった。それから同時期洋泉社から出た*1映画秘宝悪趣味邦画劇場』の中心メンバーもそうだし、『人生解毒波止場』の著者の根本敬も「幻の廃盤開放同盟」の活動その他で様々な面白いコレクションを披露している人であった。
たぶん僕にとって素晴らしいコレクターとは「モノ」だけでなく「コト」を集め、そんなあれこれを人の(というか僕の)興味を引くように面白おかしく紹介できる人のことである。この早川さんはまさにそういう人で、今年読んだ本でおなじような面白さを感じたのは、映画を「人喰い」というただ一点のみで分類し、作品の予算、興収、知名度などをちっとも差別せずに大量に陳列したPithecanthropus Collectus(蒐集原人)である。


てこって、この本。一部ですでに話題になってる「ファシスト少女フランチェスカちゃん」や「皇紀二五九一年の夏休み」なんてタイトルセンスも素晴しいのだけど、やはり紹介されてる図版がとにかく面白い。例えば「靖国の母子像」のオリジナルの画をよーく見たら西条八十の賛がついてるんで驚いたり、「病院船の天使大熊よし子」の記事の横の「お子様懸賞」が妙なおかしさを醸し出してるを笑ったり、と本文から外れた部分で何度でも楽しめるつくりになっている。大学時代に『滑稽新聞』を「思想史」の教材として読んだ際も、本文よりも広告に目が行ってちっともレポートが進まなかったのを思い出したんだけど(以下略)、まあ「広告の高配この一閃にあり」という言葉もあるんで。


そんなこんなんで、ふと宮武(廃姓)外骨を思いうかべたんだけど、外骨を引き合いにだすとそれこそシューシューがつかなくなるんで止める。


誰かモームモーマスにコンタクトとって「皇紀二五九一年の夏休み」って曲作らせないかなー。