ハルキ映画ジャケの原点『ラブ・ストーリー』

ラブ・ストーリー―ある愛の詩 (角川文庫)

これは「映画と音楽と本はセットで商売になる」(メディアミックスってヤツね)という先見の明を持ったハルキが起死回生の大勝負に出た記念の一作なのである。

当時、29歳になったばかりのぼくは、あらゆる社内の反対を押し切ってこのかけに挑んだ。
角川春樹「愛と夢をつれて」『人間の証明―シナリオ (1977年) (角川文庫)

なぜ「起死回生」なのかというと、その時期ハルキは「経営の責任」から社内で居場所を失っていたらしい。また私生活においても、愛人と青山の「安アパート」で暮らしてたにもかかわらず、さりとてすっきり離婚→再婚ってこともできずに、公私ともども、まさにウダウダグダグダしてたそのときに、愛人といっしょに映画『卒業』を見て、前述のセット販売戦略が浮かんだそうなんである。
いやー、『愛と死をみつめて』を難病エクスプロイテーションの東の祖とするなら、西の祖である『ある愛の詩』にハルキが絡んでいたとは、である。


そんなこんなでこの『ラブ・ストーリー』100万部の大ヒットを境に一躍出版界の時代の寵児として躍り出たハルキが次に企てたのが、今は売れていない、でも大ヒットする要素を持った作家のブームを作り出すことだった。
そう当初松竹*1と提携して『八つ墓村』を準備していたのがポシャって、その後に角川春樹事務所を立ち上げタッグ先を東宝に切り替えて望んだ『犬神家の一族』の大ヒットで爆発する「読んでから見るか、見てから読むか」の始まり始まりなのである。

おーっとここもシナリオ悪霊島へと続いてる道が!

*1:その後『蒲田行進曲』までハルキは松竹と組んでないのはこの時なんかあったんかと思われる。