ポスト岡崎ケータイ以前

blue [DVD]

blue [DVD]

そもそも「ポストなんちゃら」*1って言葉は乱暴にものごとを括ってしまうやーな言葉であるが、魚喃キリコをポスト岡崎京子(以下P.O.)といって良いのかもよーわからんが、この映画の監督(それから脚本と美術担当)はあきらかにそのように考えておるようで、遠藤の部屋で最初に目に飛び込んでくんのがマイブラ

で、本棚に岡崎京子(と岩館真理子)が並んでて遠藤が桐島に奨めるCDが
High Land, Hard Rain

High Land, Hard Rain

*2
だったりする。おそらく桐島が日本家屋で黄昏てるってのも「岡崎京子」的(『グーグーだって』にもあったんで大島弓子的とも言える)な表現だといえる。たーだ、この映画の制作者の素晴らしいところは、この物語をその枠に押し込めて終わるのではなく、おそらく連想されるであろうもう一つの巨星吉田秋生(中原俊監督のあの映画も含めて)にも目配せをしているところである。主人公桐島に姉の美和子(原沙知絵と並ぶP.O.顔女優)ではなく市川美日子を配したこともそうなのだが、吉田の鎌倉に代表される太平洋側を向こう似まわして日本海をしっとりとしかもさほど重たくもなく映し出したとこなんかの志が、翌年美日子が出演した『ラバーズキス』とは比べもんにならないほど高い。そういや桐島と遠藤が商店街を歩くシーンで美日子と小西真奈美で足の運びが違ってた、おんなじモデル出身なのに。あれは演出か?

映っちゃうものと録れちゃうもの

見ててずっと思ってたんだけど、この映画ってことのほか生活音その他のSEの音量が大きい。部屋やバスのシーンで、そこまで必要かというほど走行音が聞こえてくる。
これはマンガの実写化のムツカシサを逆手に取ったのではないだろうか。原作の『Blue』は山田紫ばりの静謐さを表してるかのごとく紙面が白い(背景が書いていない)。おそらく読者はその後ろの音は思いっきりミュートされてるもんとして読んでいるはずだ。しかし、それを再現しようとするなら会話のアップのみホワイトバックで撮るなんていう、それこそ白々しいことでもしない無理だ。もう背景は映っちゃうしかない。ならば背景音も録っちゃうしかないし。しっかり流しちゃうしかないってことだったんではないのか。だって主な登場人物の音にかぶっていいのは声以外の音だけであるってな確固たる信念がなければ教室や通学中の女子高生があんなに静かなはずはないではないか。
あと感心したのが、劇場公開映画としてはビスタ画面なんだけど、中高生が部屋で視ることも考えてなのか、4:3画面にも心配りがしてあって、それでなおかつ微妙に中心から外したとこに人を配置する場面が多いんだけど。校庭で中野にバイバイした桐島が遠ざかる際のルートがその縁ギリかギリアウトをうまーく行ってる点。


でも、これ2時間近くもある必要あったのかとは思った。



あ、ケータイのことはどーでもいいや!
※とにもかくにも特典映像の作者魚喃キリコが典子さん系の麗し人だったに驚き。

*1:例えばポストパンクやポスト構造主義とか

*2:『knife』だったかも