ランディと呼んでくれ

14日にその場にいなかった僕がいうのもおこがましい気がすんだけど、博多スターレーンに一番近いスクリーンシネリーブル博多駅で『レスラー』を観てきた。近いというならばあのアクロス福岡にも歩いていこうと思えばいける距離だ*1

映画は20年前の試合のポスターで始まる。20年といえば78年に『12の三四郎』が少年マガジンで始まって、98年に『2』がヤングマガジンで終わるまでといっしょだ。その間の日本でプロレス団体の数はメッチャクチャ増えたが、ゴールデンタイムの地上波放送が無くなっていた。逆にアメリカでは1999年ごろプロレスはTVの有料コンテンツとなっていた(夕刊プロレス [まぐまぐ!])。そのころまで主人公のランディ"ザ・ラム"ロビンソンが人気を保っていたかどうかは分からない。ただ、「ニルヴァーナが出てきてからは最悪だ!」というセリフを考えると凋落が始まったのがそのころだったのかもしれない。
劇中、その落ちぶれたランディが本名(ファミリーネーム)を呼ばれるのを嫌って、「ランディと呼んでくれ」と何度も言うシーンがある。これって単に現実においても「プロレスラー」でありたいという気持ちもあらわれなんだろう。

映画『レスラー』はランディ栄光のの日々、80年代のプロレスのポスターで始まる。ランディはアヤトーラ(イスラムの指導者)と果てしなき抗争を続けていた。
これはハルク・ホーガンとアイアン・シークの抗争をモデルにしている。
 町山智浩「プロレスラーはキリストである」劇場用パンフレット

ということであれば、彼は正しき米国人の中の米国人であり続けなければならない。そのためにはいかにもWASP風のロビンソンじゃなくてはならないのだろう。僕がこんな事考えてしまうのも映画宝島vol1『異人たちのハリウッド』のせいである(そのあたりの話はのちほど)。

ランディ(たち)は本当のプロレスラーである。

中盤にランディとネクロのハードコアマッチが挟まれた時に、僕の脳裏に浮かんだのは、『1・2の三四郎2』の2巻での美鈴拳との試合であった。その後美鈴は三四郎たちドリームチームの一員となるんだけど、彼が三四郎を評した場面も同時に思い出した。


あいかわらず/うまい/受身だ

桜五郎さんとこで/徹底的に「受け」を
鍛えられている/からな
だから/三四郎は/本物のプロ/レスラーなんだ

パンフによれば、この撮影のためにミッキー・ロークはハードなトレーニングを積んだということだが、おそらくその多くが「受け」の習得に費されたんだではないかと思う。
で、その鍛錬の成果もあってか、ネクロとの試合ではあらゆる攻撃を受けきったランディも、アヤトーラとの試合の終盤に身体に異変が起きて「受け」はできそうもなくなる。それどころか立ってるのもやっとの状態になってくる。それを察したアヤトーラはとっととフィニッシュを、それも簡単なピンフォールを促す。しかし、観客(PEOPLE)は「ラム・ジャム」の大合唱・・・。
僕は画面に向かって「行け!」と「行くな!」と同時に叫びたくなる衝動を堪えながら号泣していた。


そして、しばらく特リン一番前の席から立ち上がれなくて、照れ隠しにサングラスをしていた。

*1:そんなことを考えながら"http://www.wrestler.jp/"で広島市の上映館を調べると中区の小屋だった