セーラー服ときかん坊

つるばらつるばら (白泉社文庫)

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いや、実際は単純な「きかん坊」ではない。時には聞き過ぎるほど大人のいうことを聞く「子供」である。それから「セーラー服反逆一名」ってのも考えたけど、反逆ってのも違うと思って…。


それはさておき「セーラー服と機関銃

を例に上げるまでもなく、この国で「セーラー服」は多くの場合女の子のきるもんであるんだけど、「SALOR」というんんだから男の子が普段着に来てもちっともおかしくないはずである。だから「夏の日の獏」の走次君がお母さんとお出かけして、偶然にもお母さんの良い人と対面する際の服がセーラーカラー(襟)だっていうのも全然アリなんだと思う。

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まあ、そんなんだけど、なんかこれって妙に気になってしまう。走次君は自意識は「大人」というか「青年」なんで、この服は(例えお母さんのチョイスだとしても)自分の意思で着てるわけで、1988年当時の青年がセーラーカラーを着るってのにどんな意味があるんだろう、ってには実はあんまり興味がない。
それより、作者なんでこんな大事なシーン(この後のじいちゃんのアレコレも含む)の衣装をセーラーカラーにしたんだろうか。これが映画やTVなら監督・助監督・衣装部(個人スタイリスト)があーだこーだの末に決定してってことになるんだろうけど、マンガだと間違いなく大島弓子せんせい個人がズバーンと決めちゃってるわけで、もう「趣味」ってことなんやろう。で、その当時のファッション状況を全く思い出せない(というかよー知らん)ので、単純に「流行りもん」だったってこともあるんだろうけど、やっぱ着せたい理由ってのが他にあるような気がしてる。
「ダーリング」のときの沢田研二とか、デビュー時のチェッカーズってのは考えずらいんで、一番思い浮かびやすいのは

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ビョルン・アンドレセンなんだろうけど、それはそれでどーして半袖半ズボンになっちゃうのか、ってのが気になってしまうのである。

*1:白泉社文庫版で104頁