時空をすっとんだあんみつ姫

前の大河『篤姫』のエラい役職の人が宮粼あおいを選んだ理由を薩摩時代をしっかり描きたかったから、みたいなことをどっかで読んだか聞いたかした。「分家とはいえ姫が供もつけずに」と目くじら立ててるオヤジ(確か朝日新聞の特集記事の投稿)には、「いいじゃん『あんみつ姫』だと思えば!野暮天ってやだねぇ」と思ったもんである。
で、そんなあおいちゃんに是非「杉浦日向子」を演じてもらえないかなぁ、と思った。
というのも買ったまま本棚に直行していた

を昨日の講談社現代新書をかたつける際に引っ張り出してきてつらつらと読んでいて、南伸坊さんの文章「利発な女の子」の

杉浦さんの名作百物語の22話に「長持の中の話」というのがある。長持の中に入った女の子が、どこか異次元に連れ去られて、一年後また忽然と長持の中に戻っていたという話だ。
私には、この女の子が日向子さん自身のような気がする。
いくら時代考証の勉強をしたかもしれないがどうもあんまり江戸に詳しすぎると思う。ほんとうは長持と使ってあっちからやってきたほんものなんじゃないのか

を読んで、「あっちからやってきた」てので「あんみつ姫」が僕の脳みそでウゴウゴしだしたのである。日向子さんはほんとは江戸時代(徳川時代)のお姫様でそんでもってふらっと見てきた江戸の町のあれこれを、現代の日本でしゃべりたくて(伝えたくて)時空をこえてやってきたんだ、と―江戸の町娘が、じゃないのがミソ。
そもそも「利発な女の子」ってまさに宮粼あおいのことやん、とかなんとか…。
なんかに化かされてるのかな、僕。

百物語 (新潮文庫)

百物語 (新潮文庫)


まあ、そんなこと(ドラマ化や映画化)が実現したおりには、あおいちゃんには衣装部や個人スタイリストがやたらと持ってくる着物をうっちゃってミニスカートに網タイツなんて姿を披露してもらいもんである。