グーグーはなんてたって猫である

映画がモノローグで開けるのはよくあることだ。でも、主演でない人のモノローグが二つ続くってのには少なからず奇妙な感覚を覚えた。小泉今日子主演『グーグーだって猫である』のことである。
奇妙といえば、そもそもこの小泉今日子って存在が奇妙なんである。
まず、今回の映画の宣伝がらみで「みなさんのおかげでした」に出演して、「次はモジモジくん」なんてサラっと言ってアイドルキョン2健在を示しながらも、出てる映画は「TV局映画」ではない。大島弓子原作で『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』の犬童一心が監督した『空中庭園』の主演女優の映画。どんだけ効果はあるのか、ないのか。"でも、キョンキョンだから"で話はすみそう。


小泉今日子が末期の『スター誕生』を経て、デビュー曲から2曲連続カバーなんていう変則的な登場の仕方をした82年は、まだ「おたく」が現在の「オタク」という意味を持つ前であり、嘉門達夫の歌で「ヤンキー」が全国的に広まるのも翌年ってな年。小泉は聖子ちゃんカットをした、ツッパリ(およびツッパリに憧れる男子・女子)をターゲットにしたアイドルだった。それは『ビー・バップ・ハイスクール』の二人のマドンナが三原順子小泉今日子由来ってのでよーく分かるはずである。
ちなみに映画『BE-BOP〜』で今日子を演じてた中山美穂がパンフレットのインタビューで

お芝居やって1年位たつんだけど、今までツッパリ役しかやったことがなかったから、好奇心みたいな感じで、かわいらしい女の子をやってみたかったんです。だから順子役ではなくて、今日子役でうれしかった

なんて発言しているのも興味深い。今読んでみると「あの程度でツッパリとは」と驚くほかないし、『積木くずし』のお鉢が回ってきた典子さんの(略)

で、その小泉が、TBSvs日本テレビの抗争で「レコード大賞新人賞」を中森明菜とともに逃した翌年から彼女の快進撃が始まる。TVで「パリンコ学園No.1」「あんみつ姫」に出演しながら、彼女(のスタッフ)が映画初出演に選んだのが内田裕也主演、崔洋一監督の『十階のモスキート』であった。なんがうれしうてNO1アイドルの初出演映画が「さえない警官がレイプしたり借金こさえて強盗したりする」映画でアナーキーの中野茂といっしょにツイスト!なのかわからんのだけれど、ま、風祭ゆきは『セーラー服と機関銃*1薬師丸ひろ子と『伊賀忍法帖』で典子さんと共演してるから。

そんでもって、当時「BOMB!」が小泉の映画初出演*2、彼女の

これからも、映画は是非やりたいです。今日のツッパリ役とか、暗い感じの女の子の役が、会ってるんじゃないかなぁ

てな声とともに伝えているんだけど、そんな彼女の言葉がどのように作用したのか、彼女の続いての出演で初主演映画はベストセラー漫画の映画化だった。

いまや、人気NO1のアイドル?キョンキョン?こと小泉今日子の映画初主演作。
庄司陽子の原作『生徒諸君!』は少女フレンド(講談社)に連載され、中学・高校・大学生に圧倒的な支持を得ている。単行本が22巻、販売部数が1800万部という驚異的ベストセラーである。
(パンフレット か・い・せ・つ)

goo映画: Movie × Travel — 旅のような映画 映画のような旅
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=each&id=17528
この映画で彼女は念願かなって「ワル」を演じることになる。どこがワルかと聞かれても困るが、庄司先生が言ってるのだからしようがないである。「少年犯罪データベース」を引き合いに出すまでもなく、このころは今よりずっと「犯罪件数」も多かったし、「教室の窓ガラス」はずっと多く割られていたし、「援助交際」って言葉がなかっただけで当然そんなことしてた娘はいただろうけど、「少女漫画」の読者にとって先生が「(私も)ワルだったのです(ナッキーほどのワルではなかったけれど)」といわれたら納得してたのである。共演が、公開当時は「ダブルキョンキョン」と話題になった岸田今日子だったり、羽賀健二だったりのこの映画、『グーグー』公開とソフトボール人気でツタヤの目立つ場所に置かれることになるだろうが、明朗活発な女の子が活躍する学園コメディを期待してみると痛い目をみるに違いない。まあTV版がどっか負のオーラを持つ内山理名主演(↑のムービーウォーカーじゃそっちのDVDリンクしてある)だからそんなこと思う人いないかな。ちなみに主題歌は作詞:高見沢俊彦,高橋研/作曲:高見沢俊彦/編曲:井上鑑の「The Stardust Memory」(某チャート誌初登場1位)。
そんでもって小泉は続く「木枯らしに抱かれて」

http://jp.youtube.com/watch?v=WlYt8tvuB64
http://jp.youtube.com/watch?v=hkr_2G3Jlko
で音楽に「やかましい」サブカル方面の人にも注目をあび*3たり、『週刊本 卒業〜KYON2に向かって』*4その他のニューアカ方面から余計な援護射撃(「器官なき身体アイドル」とかいわれてたっけ?)をあびたり、(かなり中略)今よりずっとエラソーだったマガジンハウスから

パンダのan an

パンダのan an

出したりして女子の憧れ(アマゾンには小学校じだいからキョンキョンに憧れ続けたひとの★★★★★なレビューがある)だったりしてきた。一人の人間の中にこれだけのものが同居してるってのは奇妙なことだと思う。その奇妙さはマーティー・フリードマンがメタル=死ってな安易な図式の中であの役を演じながら、着てるTシャツがシド・ヴィシャスなんてもんとは比べものにならんくらいに。


そんなそんな小泉今日子がずっとすきだったのが大島弓子だったらしい。

30年来の大島さんのファンだ。今でも1年に一度は必ず選集を開く。映画化と出演の話があった時は「あまりにリスペクトしてる人とは、遠くでみていたいというのがファンの本音」と思った。「すごく積極的な状況ではなかったですけど、他の人がやるのを想像すると、ほっとけないなと。私、小学生からですよ、作品を追いかけてきたということは大島さんの作り出す世界、言葉、空想は私を育てたそのものなんですよね。(大島さんの)世界が丸ごと私の細胞を作るための分子になったというような。だからじゃないですかね。役をやるための訓練は30年間やってきた、準備はできていたんですね。
(9月7日付「日刊スポーツ」文化芸能)

結果的に大島弓子信者が結集してつくったような映画になりました。小泉今日子さんなんか、僕より『グーグーだって〜』の解説を分析的にできるんですよ。僕が映画の中で、大島先生のどの作品を元ネタに引っ張ってきたか、それも全部分かってるんです。
映画秘宝」0810月号「犬童一心監督、ホラー映画と大島弓子を語る」

これらの記事を読んで小泉が本当に演じたかったのは上野樹里演じるアシスタントナオミだったんじゃないか、と思った。子供のころから憧れ続け、信じ続けた先生のもっとも身近にいる人間の方。そう考えてみればナオミの回想シーンが昭和40年代臭いのも判る*5。でも、実際のスクリーンでの小泉今日子にはそんな迷いなんて微塵も感じられなかった。大島弓子でなく小島麻子を演じることを決心した潔さにあふれていた。だからこそ『子猫物語』だと思って見に来た親子連れの母親が子供がぐぜリ出しても映画を最後まで見ていたいと思わせるものがあったんだね*6

ま、ラスト近くの「G××× G×××」の文字列に『REX恐竜物語』の雲で書かれた「HAPPY END」と「何かいてるの?貝?」「違う、具」ってな会話を思い出して泣いてた(それは『カンフーハッスル』でアイスキャンディ売りの少女に『ドラゴン危機一髪』の氷売りの少女苗可秀を重ねて泣いていた正反対の理由で)人間のいうことなんて全くあてになりはしないけど。

*1:その役を小泉は長澤まさみ版で演じることになる

*2:記事の上下が知世ちゃん『時をかける少女』とフィービー・ケイツってのが時代やなぁ

*3:といっても当時は今ほど棲み分けが進んでなかった。「BOMB!」では『Today's Girl』がラウドネスやアズテック・カメラやミカドと並べてレビューされてた

*4:「Kyon2が赤い。『雪片曲線論』のように赤い」で有名だった。そのへんのことは『別冊宝島 80年代の正体』浅羽通明「刈り上げおじさんがコム・デを着て、銀ぶち天才少年とチベットから来た男の登場で始まった」に詳しい

*5:これは監督の頭の中の脳内世界でしかない『僕の彼女はサイボーグ』の昔TVや映画で見たような過去とは違う

*6:正直外に連れて行ってほしかったけど