物語とキャラ/キャラクター

消費者が商品の作り手がが作り出した物語に満足できず、消費者自らの手で物語を作り上げる時代の予兆だった
(大塚英志定本 物語消費論 (角川文庫)』裏表紙)

かっては作品の背後に物語があった。しかしその重要度が低下されるとオタク系文化ではキャラクターの重要性が増し、さらに今度はそのキャラクターが生み出す「萌え要素」のデータベースが整備されるようになった。
(東浩紀動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)』69頁)

現在では一般に、「キャラクター」とは「マンガ(やアニメなど)の登場人物のことだと考えられている。ことマンガの場合はほぼ「登場人物」と同義にとらえられているといっていい。マンガ原作者である小池一夫の言葉でいう「キャラクターが立つ」とはこの意味である。一方「キャラ」とは、たとえば「ハローキティ」のような簡単な図像で作られているものをイメージしてもらえばわかりやすいだろう。
(伊藤剛テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』88頁)

おそらく「キャラ」であることの強度とは、テクストに編入されることなく、単独の環境の中にあっても、強烈に「存在感」を持つことと規定できる。だからそれは、作品世界のなかではエピソードや時間軸に支えられることを必ずしも必要としない。その程度には「キャラクター」としての強度=立つことと、「キャラ」としての強度とは、独立した事象なのである。ここでキャラに「萌える」という受容を思い起こすべきだろう。「キャラ」の強度とは、「萌え」を支えるものである。逆に言えば、何であれ「キャラ」の強度に反応することを、広義の「萌え」と定義しなおすことも可能だろう。
『同』104頁

キャラ

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キャラ





キャラクター

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