うぁー「放課後のアモルファス」だ
http://mainichi.jp/life/edu/news/20080529mog00m100019000c.html
このニュースを聞いた30代後半から40代の人間で「宝島」文化圏にいた人はほぼ山崎浩一が週間本「早熟のカリキュラム 近未来少年少女倶楽部」に発表した小説「放課後のアモルファス」※を思い出すだろう。特に見出しが「なぜ」と来たら間違いない。
その小説では、突然小学校で「忘れ物」が目立つようになる。そして、児童たちは忘れ物を繰り返し、ランドセルを持っていかなくなり、やがて、「学校に行く」ことそのものを忘れてしまう。彼らの意識のなから学校というものが消えてしまったのである。
その「意識消失」の当事者のインタビューが印象深いので引用する。
―今、「学校」っていうのの意味はわかる?
宏明―うん、まあ、本読んだり両親が一所懸命教えてくれたりしたからね。でも、知れば知るほどわけのわからないところみたいね。なんでそんな場所があるのか、よくわかんないよ。ものを知りたきゃ別に今のままで何の不自由ないし。だいたい、そんなところに大勢集められて、ひとりの人の話を聞かなきゃいけないの?
小山田宏明くんのこの問いにちゃんと答えられる大人ってどんだけいるんだろう。
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