徳川時代の本2冊

幕末政治ゴシップ三昧

新暦の12月14日に「正しい歴史を知る」とかほざきながら、「忠臣蔵テスト」なんて開催してる人たちにツッコミいれるさいに便利な本『忠臣蔵―赤穂事件・史実の肉声 (ちくま新書)』の著者野口武彦さんの本

幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)

幕末バトル・ロワイヤル (新潮新書)

幕末を「青春グラフィティ」だったり、戦国時代と並ぶ「やっすいビジネスの教訓の宝庫」だと思ってる人たちが読むと足をすくわれる内容。たーだ、今も昔も「権力者」どもの醜さはにてるようで、ひとまず「改革」なんてもんが身内を律するのが難しいってんで、下々につけを回すってのは似てるってことは・・・まあ、そんなことはこの本読まなくてもねぇ。
そもそも、「幕末」と掲げながら、話を水野越前守の猟官運動から始めるもんだから、しばらくは上のような人たちの望んでる人物なんかでてきやしない。出てくる徳川斉昭にしてもシモをつっつかれる有様(笑)。
たーだ、今になってみるとタイトルがちょいと恥ずかしい気が。おそらく編集者というか新潮社の意向なんだろうけど。

「百姓」支配の虚構

例えば田中正造の伝記なんかを読んでも、徳川時代の「百姓」が今よりずっと自治意識を持っていたことは分かる。
でもって

百姓の江戸時代 (ちくま新書)

百姓の江戸時代 (ちくま新書)

を読み始めた。
この本でも強調されてるのが、「百姓=専業農家」ってな誤解を基にした歴史認識の誤り。あと「一揆」といえば

食べていけなくなった百姓たちが筵旗を立てて貧しさのどん底から立ち上がった、という印象で語られる場合が多い。だが、百姓はそんなことで一揆を起こすような動物的存在ではけっしてなかった

ということを実例を挙げて述べている点。先の参院選の開票バラエティ番組で徳光が「姫が一揆の旗を振り」なんて呆けたことを言ってたが、歴史誤認も甚だしい発言だったと改めて思う。
たーだ、僕が初めて「百姓≠農民」ってなのを目にした網野善彦先生の場合もそうなんだけど、今回挙げられている事例がどんだけスタンダードなことなのかには疑問が残る。が、しかし「百姓は生かさず殺さず」だとか「胡麻と百姓はなんちゃら」やら「士農工商」なんてもんだけで、江戸時代(徳川時代)の百姓を語るのがいかにナンセンスかと言うことは確かだと思った。