やはりこの映画は見る必要はないと思う。(僕限定)

サトエリじゃだめなんだ - BEAT-MANgus(椣平夢若食い散らかし記)の続き
何でもいいが公式サイトの「きっしょう てんにょ」ってなルビはどうなんだろう。確かに口に出して言うときはこうなんだろうが、「吉祥天」+「天女」の造語だろうに。
夜想26 少女』の今野裕一「グッバイ・アリス」の『吉祥天女』に関する部分。

今まで描かれた少女のエロティシズムは、男性性のエロティシズムではないのか?女性へのエロティシズムは、それに対抗したネガのエロティシズムではないのか?と、少女たちの描く少女のエロティシズムとはどんなものなのか。そしてさらに性差をこえて男が少女を描くということはどういうことなのか。
たとえば吉田秋生の『吉祥天女』に、そうしたこれからの少女表現の可能性をみてとれる。
問題なのは、少女=犯される性という構造をどう現実とイメージで越えるかだろう。少女のエロティシズムというとき、エロティシズムを感じられてしまう少女の側の感性をもう少し考え直さなくてはならないだろう。『吉祥天女』の小夜子は少女の頃にレイプされた男を霊力で呪い殺している。性的に誘い込みながら次々と男を殺していく小夜子はまさに少女の記憶を血で復讐しているかのようだ。

これを読んでなおさら、ガース先生の"オレには理解できないよ"への賛成の気持ちが膨らんだ。
僕が栗山千明が適任であると思う理由はルックスだけではない(それが一番なんだけど)。"小夜子は少女の頃にレイプされた"であの写真集を思い浮かべるのも間違いではないなだろうが、それだけではちょっと足りない。まあ霊力ならもっと適任がいるかもしれない。
僕が、小夜子役にぴったりだと思うのは彼女の空っぽさゆえんである。彼女は無意識に現場の空気を掬い取り、無意識にその役を表現してしまう(するではなく)ような「女優」であり、製作側の作った現場の雰囲気や監督の力量によって輝きが増減する人なのだ。
だからこそ、『吉祥天女』の小夜子を彼女が演じ、それを女性監督が演出した場合に、監督の持つ「少女の感性」をもってして、「血による復讐」劇が見事に表現されるのではないかと思う。

ユリイカ2006年12月号 特集=監督系女子ファイル

ユリイカ2006年12月号 特集=監督系女子ファイル

この特集はなんだったのか?西川美和絶賛はどこにいった。


吉祥天女』は「血」にまつわる物語である。オープニングが由似子が生理痛なのは僕ら男には解らない深遠な理由があるはずなのだ*1







櫻の園』の清水さんならこの映画化にこういうだろう。
「だからあたし一生許さないの」
「生涯恨んでやるんでやるわ」 

それが監督が杉山さん関係の

を撮った人でもいっしょだ。

*1:吉田秋生が発表の場を「少女雑誌」「女性雑誌」に拘っていることも関係あるはず。