スコセッシってホントに巨匠?

ディパーテッド』観てきた。
『インファナルアフェア』に比べたらそんなに面白くなかった
なんていっても仕方がないのでいろいろな違いを考えてみました。
まずはタイトルが正反対。
『無間道 infernal affairs』(以下『無間』)Infanaru Afea (2002) - IMDb
ディパーテッド The Departed』(以下『ディパ』)http://www.imdb.com/title/tt0407887/
『無間』のラストに仏陀曰く「死は無間地獄ではない」という字幕が流れるのに対して、『ディパ』はいきなりタイトルが「死者」。生きていること自体が「地獄」という仏教的死生観はとっとと捨てたってことでしょう。それならカソリックの教義なりなんなりを持ち出してくればと思うんだけど、そこはそこ、神父とのやりとりなんか出した日にゃ、憎っくき『ミリオン・ダラー・ベイビー』とカブってしまうんでスコセシ先生としては避けたかったのかなぁと。『MDB』といえば、『無間』の映画館は『MIB』がかかってたよなぁというのはおいといて、『MDB』も『ディパ』もどちらアイリッシュを描いた映画で、スコセシ先生でアイリッシュといえば『ギャング・オブ・ニューヨーク』なんてもんもありました。ほんと先生恨みがましいというか執念深いというか(笑)。ホント欲しいんだなぁ、オスカー。
でもって、今回アイリッシュを主人公にしたのは非常に理解しやすいですね。『無間』のヤンの葬儀シーンでもバグパイプが鳴り響いていましたが、やっぱりアイリッシュの代表的職業といえば警察官と消防士、建設業かヤクザですからね。今回のテーマにぴったりですね。で、それに重ねてご丁寧にもいかにもなスポーツである(アメリカン)フットボールでなく、ラグビーを登場させてました。そこでのマット・デイモンのポジションがフランカー(flanker)なのはFrankとのもじりかどうかはわかりません。ちなみにフットボールではQBとのホットラインであるエースレシーバーのポジションですが、これも僕の勝手な思い込みでしょう。
さてさて今回の舞台のボストン。オザケンのおじさんが「ボストン交響楽団」の指揮者になっていたとか、ロックバンドボストンのトム・ショルツの出身大学のMITやマット・デイモンが卒業したハーバード大*1、あとバークレー音楽学院があったりのいかにものどかな学園都市のような気がしてましたが、それは思いっきり勘違いだったようです。ビージーズの「マサチューセッツ」があんなに美しいのは彼らがオージーだからでアイリッシュじゃないからでしょう。現在ではアイリッシュはボストンの最大のエスニックグループですが、先ごろNFC決勝で負けたニューイングランド・パッツのチーム名が象徴しているように元々はWASPの牙城であり、アイリッシュに優しい町ではありませんでした。大学といえばボストン大の卒業者にはかのマーティン・ルーサー・キングがいます。つまり黒人解放の発端の一つでありますから、『ディパ』冒頭の「教会はクソ」というのは非常にボストンのアイリッシュの心情が現れているセリフだと思います。Martin Luther (読み方を変えればマルティン・ルター)キング牧師プロテスタントパブテスト派なんで、カトリックであるアイリッシュにとっては邪魔臭いことこの上なかったでしょう。
いまでこそアメリカのバカ保守の主流の一つとなったカトリックですが、今回の映画を見るのにも大変役に立つ

実録マフィア映画の世界

実録マフィア映画の世界

が引用している
「民族」で読むアメリカ (講談社現代新書)

「民族」で読むアメリカ (講談社現代新書)

にこういう記述があります。

彼らはカトリック教徒として、プロテスタントアメリカ社会の敵意と差別に面した。「アイルランド人は応募に及ばず」とはっきり述べる新聞の求人広告も多く、最も低い賃金の仕事にしかアイルランド人はつけなかった。子供たちは学校でいじめられ、ボストンでは修道院の付属学校が焼き討ちされる事件も起こった。

いやー、ひどい話です。いじめはよくありませんね。それに学校焼き討ちなんてもってのほかです。この人だったらこの時のアイリッシュWASPを皆殺しにしても許してくれるかもしれません。

それもさておき『無間』から『ディパ』への大きな変更に「モールス信号」から「eメール」というのがありましたね。もしかしたらジャック・ニコルソンとディカプがソフトバンクユーザーでホワイトプランを組織ごと加入(でもあの手の仕事夜の9時過ぎが無料じゃないのは困りもんでしょうが)してたんでという可能性は捨てきれませんが、そこらでちらほら見られる「設定時代変更に伴うハイテク化」なんて説明は納得いきません。ハイテクというなら『無間』の方がずっとハイテクです。アンディ・ラウのおうちの薄型TVはマット・デーモンちのよりずっとデカイですし、操作中にカード型端末を使用してますし、サミー・チェンもバッテリー発火も恐れずバイオを愛用してます。さらにウォン警視が落ちてくるタクシーの看板は「Software2002Exhibition」なんです。そういうハイテクな世の中で「真空管アンプ」や「モールス信号」などアナクロなものそっくり「黒社会」のメタファーだったわけです。またウォン警視の携帯でラウがモールス信号を打つことでヤンの信用を得るわけなのに、それをすっぱり削除した『ディパ』はたんなるバカ二人のやりとりに見えてしまいます。ついでに真空管アンプは二人が警察署内で対面するシーンで「暖まれば良い音になる」というセリフで話に深みを持たす道具になってますよね。ではなぜ『ディパ』はそんな重要なモチーフの一つ「モールス信号」を使えなかったのでしょう。それは前傾の『民族〜』の続きを読めば解ります。

アイルランド人の排撃の運動は1850年に絶頂に達し、電信で有名なサミュエル・モールスは『合衆国の自由と外国の陰謀』と題する本を出版し、神聖ローマ帝国ローマ教皇との間にアメリカを支配する陰謀があると主張した。

いやはや・・・
あと、善人か悪人かっていうときの善人てのも『グッド・フェローズ』ですからね。使えませんやね。

まあ、そんなこんなもケリー・チャンは言うに及ばすサミー・チェンの足元にさえも及ばない、魅力の乏しいおばちゃんが二人を結ぶ重要な点の一つであったり、ラストの窓際に映ったアレのトホホさに比べればどうでもいいことですね。

*1:ハーバードの所在地はケンブリッジ