僕らは何を知らずに何を知っているのか

『力道山』
火曜日に試写会へ。珍しく見たい映画の当選。
でもってキャッチコピーは「日本人がいちばん力道山を知らない」
そんなもん力道山なんて日本と朝鮮半島以外じゃ誰もしらんやろ、なんていう野暮な突っ込みは無し。
ただ、もしこの「知らない」ってのが「百田光浩こと金信洛が咸鏡南道洪原郡龍原面出身のシルムの強者だった」ということを指すなら、おいおいではある。
僕の手元にある本でも『別冊宝島120プロレスに捧げるバラード」所収の黄民基「幻の三ノ瀬マッチ/在日朝鮮人たちの力道山」や『NumberベストセレクションⅠ』所収の井手耕也「追跡力道山/そのルーツを追い、海峡を渡る」でもそのことが語られているし、『映画宝島異人たちのハリウッド』の流智美「「移民の歌」少数民族の採点としてのプロレス」では鉄人ルー・テーズの談話として

プロレスというのは競技そのものが、人種対人種という構図の上に成立しているショー・スポーツだから、レスラーは自分の出自、そしてリング上でのアイデンティティに敏感なんだ。たとえばリキ(力道山)がそうだったろう。我われレスラー仲間では、リキがコリアン(朝鮮人)であることは皆、知っていたが、リキは死ぬまで日本人で通した。

なんてことが書かれている。ルー・テーズの言葉はこの後「"ジャーマン・スープレックス"が"ベルジャン・スープレックス"になったら、語呂が悪いだろう」なっていうもっとシュートな発言があったりするんでその衝撃はずいぶん薄らいでしまう。
そういえば「幻の〜」には「その当時「柳川興行社が大阪での興行をしきっていたからして、梁元錫(柳川次郎)氏が」、「追跡力道山〜」では「やはり在日韓国人に紹介されて、在日大韓民国居留民団中央本部の元団長、曹寧柱(チョヨンジュ)氏にも会うことが出来た」なんていう、大山倍達総裁が揃えばクアドルプル役満なんてことがあーっさり書かれていて、これまたメチャクチャ凄いんだけど。
だもんだから、まあ、プロレスやらスポーツやら映画に興味がある人間にはそれ自体は全然目新しいことでも何でもない。

・・・というかこの国の多くの人にとって力道山そのものを知らないんじゃないかってな疑問が湧いてきた。名前くらいは知っても興味はあんまりないとか。じゃなきゃ僕のところに試写状が送られてくるはずはないような気がする。
あーあ何だか『最狂超(スーパー)プロレスファン烈伝 (Count.3) (マンダラケ・リベンジ・コミックス)』での木藪が悪臭ボンバーでパラレルワールドへ飛ばされて、プロレスのない世の中で力道山に出会いプロレス復興を果たすエピソードみたいなことがある意味進行してんじゃ・・・
そんな世の中絶対まちがっとる!

プロレスに捧げるバラード (別冊宝島 120)

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Sports Graphic Number ベスト・セレクション〈1〉

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異人たちのハリウッド―「民族」をキーワードに読み解くアメリカ映画史

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うーん、4冊のうち3っつも書影が出ないってことだけでもかなりヤバい。