けっ、人としてねー。

人として、考えたい。『ホテル・ルワンダ』@cinemacafe.net
まあ公開が近づいていろーんなとこでその名前を見るようになった『ホテル・ルワンダ』だが、今回のこの記事だきゃ納得がいかん。

映画の中で印象的なシーンのひとつ。それは、虐殺を知りながら、何も手を下さず見過ごそうとする先進国へ戻らざるおえない西欧人ジャーナリストが、「恥ずかしい」とつぶやくシーンです。
困っている人がいると知っているのに、何も手助けしないのは、確かに人間として恥ずかしいこと。それを自覚させてくれ、「今こそ、何か始めたい!」と思わせてくれる、とても美しくパワフルな映画なのです。

で、この人ったら、「ルワ会」の人たちが「困ってた」時何やったん、それこそ「人として」「ジャーナリスト」として「恥ずかし」くないん。
ちなみに同サイト内の「セレブ系フリーランスライター牧口じゅんの映画にまつわるファッション小噺」にはまーったく出てこないんだけど、そのへんどうなのよ。多分、当該コラムとの趣旨や芸風の違いによるものなんだろうけど。
で、実際に「何かを始め」たユータさんたちのことに一切触れてないのはどういうことなんだ。思っただけでなーんもやんなかったことをそんなに隠したいか。
そもそもこの映画を観るということは現在の日本のおかれている立場に対して深く考えることにもなるんだぞ。何でかというと、あのようなリアルゾンビーな阿鼻叫喚を止める手段があるとしたら、それはその状況を制圧をするだけの武力を携えて現地に赴くことだけなんだから。そう、遠くの国から「虐殺反対」と叫んだところで死体の数は増えていくのは間違いないのである。つまり「国際紛争」はともかく国内の紛争を解決する手段としては武力が有効な手段であることを証明した映画、それが『ホテル・ルワンダ』なのである。
だからといって安易に派兵を肯定すればいいってもんではないということもこの映画は教えてくれていて、この虐殺がルワンダのことを国際社会が「アフリカの土人」のいわば他人事と思わずにいてさえすれば、充分に防げた(少なくとも拡大はしてなかった)わけであるから・・・


って見もせずに、さらに何ーんもやってない僕が何言ってんだか、である。
何だかんだいってこの牧口じゅんさんの顔好きなんだよね。
牧口さん、ごめんなさい。