昭和御畳奉行気分なのね

元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世 (中公新書 (740))』を読む。
読もうと思って20年近くが経って初めて読む。内容はその辺書評に載ってるようなものそのまんま。とにかく疲れたオヤジが自分を慰めるために読む本。
この本が出たのが'87年で、それあその頃の日本は浮かれておった。冴えないオヤジにはこれはさぞ沁みたことだろう。世の中は楽しそうなのに...自分のショボクレさは何なんだ。そんな気分を半ば肯定してくれるんだから、元禄の冴えない「サラリーマン」の日記は受けるはずだ。
そして、この本はバブル後にカンバックした。そう、冴えないオヤジが増えりゃ、その分この本の読者は増える。なんだかやな構図だが、まあだからって責めても仕様がない。冴えない人間はいつの時代にも一定量はいるんだから。
読み終わってふと本の内容とは関係ないことが頭に浮かんだ。
この日記の著者は後の人に読まれるために日記をつけていたことは間違いない。ただ、そんな日記は無数にあるに違いない。だったら何ゆえこの日記がクR-ズアップされたんだろう。
多分、あんまり自分というものが前面に出てないからじゃないのだろうか。
あと、こうやって僕らのblogってのは後世の人目にどのようにうつるんだろう。多分100年後の人が読もうと思うもののは有名人のものかあとは簡素なものだ。
だったら、同時代の良質の史料になってなってなるものか。うだうだしてやる。