あまりに過剰な「私」語り

「とっかえのきかない」人やモノってのがある。その時代のその人にしかなしえないものがある。久々にそんなことをしみじみと思ったのは数年前引越しのどさくさで失くしてしまっていた、G-Schmittのコンピレーション


Struggle To Survive

を手に入れ、半ば感傷的に半ば呆れ気味にその音に触れているからである。
「G-shcmitt」で検索してみると分るのだが、このグループを語る誰もがVoのSYOKOの美しさに魅せられたことをあけすけに告白していることからも、G-シュミットとはこのdip in the pool甲田益也子のネガとも言うべき、暗い月夜の痩身の歌姫SYOKOといっても言いはずである。

ならば、すべてのレコードのジャケット*1は彼女の写真でいいはずなんだけど、それを阻む美意識(自意識)もこの辺りの人には必須のアイテムだったりするからややこしいのである。このCDのジャケも上記のようなデザインを前面に出したものであるのだが、中にはしっかり
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といったピンナップが封入されているのである。しかし、それがまた一筋縄に行かないのは、この裏面にはびっしりと約770字のSYOKOの決意表明が印刷されいるのだ。その文章からCDタイトルについて語ってる部分だけでも抜粋してみれば、

Struggle to Survive-私にとって、"存続への闘争"とは、まさしく虚無と共存するための闘い、滅び去る宿命と対峙することに伴う苦痛を意味する

Struggle to Survive-死に向かうくらい情熱と、生に向かうかぼそい希望。圧倒的な絶望に引き裂かれそうになりながらも、何かを信じようとする意志。神聖な徒労

彼女といっしょに酔いしれることができない人には、メンドクサイことばが並んでいることがわかる。ただし、一旦その世界観に惹かれ、その場所に躊躇い気味にでも足を踏み入れたモノドモには、このことばの群れはあまりに切実でリアルに感じられたのである。


・・・つまりは、SYOKOさん、めっちゃくちゃ細くて綺麗で大好きだったんだよ!っていうことを書くためには、こんな感じでこんな字数を尽くしても足んないってことなのよね。

*1:参考http://sound.jp/g-schmitt/

*2:注:上半分をトリミング