今生きてたら・・・

吉原御免状』が面白かったんで、図書館で

かくれさと苦界行 (新潮文庫)

かくれさと苦界行 (新潮文庫)

いやーこれも面白い。『吉原御免状』で広げた大風呂敷にまたあらたな大布を紡ぐ手練手管は見事である。おそらく続編が書かれていたら、さらに新たな大風呂敷が披露されていたことだろう。89年年の作者の急逝はまことに惜しい。

でも、である。この『かくれさと〜』を読んでてちょっとやな部分があって、ポツポツ挟まる「戦争」「戦闘」「いくさ」に関する、作者の地の意見がそれ。

戦場にいたこともないくせに、声高に個人の戦争責任を云いたてる人間を見ると、ぶち殺してやりたいと思った。実際にはぶち殺してもせず、抗議をすることさえせずに済ませたのは、大方は深い侮蔑感からである

なんてとこが、それ。いかにも新潮オヤジが好みそうなもの言いがうざいなぁ。
で、この人今生きてたら案外自爆史観側に絡み撮られていったんじゃないのかなぁ、なんて思ってしまった。
この文読んで、一旦は読むのやめよっかな、と思ったけど「お話」としては抜群におもしろいことには変わりないんで、気を取り直して最後まで読んだ。確かに面白かった。
でも、でも、である。解説を読んでたらまた「生きてたら」なんて邪念がむくむく。

そこには網野善彦らの最新の中世研究をバネに"道々の輩""公界の者"といった中世自由民たちの末裔による壮大なユートピア構想が紙上に展開されており

だの

戦前・戦中の思想を支配した皇国史観に与する気がないのは、容易に察しがつくいというものだ

で脳裏をよぎったのが

追悼記録 網野善彦 (新書y)

追悼記録 網野善彦 (新書y)

大月隆寛「網野義彦が教えてくれた学問の「自由」」。

中学校の歴史教科書問題に端を発して、藤岡信勝言うところの「自虐史観」を相対化してゆく運動を展開してゆくだけでなく、実際に新しい教科書を作る、ということを公にした以上、そのための準備もしなければならない。とは言え、当時の作る会の中心のメンバーにはいわゆる歴史の専門家はほとんどいなかった

ってんで、歴史やその周りの人文科学の専門家を読んで話聞こうってんで、大月が網野善彦に連絡とって断られるってなマヌケな話。


実は隆慶一郎は生きていて・・・あ、「もし誰それが生きてたら」なんて思考の罠にずっぽりハマってるじゃん、僕。