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"あ〜〜い・わな・びぃぃぃ・an・an・かゎぁぁぁいぃぃぃ"

「アンアン」1970 (平凡社新書 358)

「アンアン」1970 (平凡社新書 358)

僕が読んでた80年代後半でさえ、現在とは比べもんにならんくらい喧嘩腰ではあったんだが、創刊当時はその比ではなかったんだねぇ。無許可の「盗み」写真使ってたりすんのは当たり前の世界。
いや、時代なんかな。
そう、テルアビブ空港に寄港した時の文章に岡本公三の名前が出てきたり、72年を振り返る際にあさま山荘事件が出てくるのは、何も『彼女たちの連合赤軍*1に引用された上野千鶴子『<私>探しゲーム』
*2のあの文章を意識したわけではなく、1970〜72年ってのはそういう年だった、ということなんだろう。
一つの雑誌なのに二人の編集長がいて、そのうち一人が

アメリカのヒッピー文化が「ウッドストック」を境にしてしぼんでいったのと機を一にして、カウンターカルチャー、若者風俗の旗手としての勢いが急速に色あせてきた

平凡パンチの元編集長で後に「POPEYE」で「再デビュー」するなんて経歴の持ち主だったりすんのだが、彼の持病が糖尿で、もうひとりの編集長は高血圧って時点ですでにアナーキー過ぎるほどアナーキーなのだが、その他の登場人物も帯の文言「ユニーク」では片付けられない輝きを放っている。
北鎌倉の原さんちを訪れると、そこは彼女の祖父の原敬の夏の別邸だったのに驚いてると、次に訪問するのが渋沢瀧彦*3宅で、そこで渋沢が歌で歓待すると、同行したフランス人モデルベロちゃん(マオイスト)が歌をお返しするなんて光景が続いた時は、あれっ今何の本読んでるだっけと思った。



で、可愛い至上主義の源流はやっぱり中原淳一だった。

*1:

「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義 (角川文庫)

*2:

「私」探しゲーム―欲望私民社会論 (ちくま学芸文庫)

「私」探しゲーム―欲望私民社会論 (ちくま学芸文庫)

*3:アンアンに「三島由紀夫追悼文」を寄稿してる