今度、いくつサバよむ?

昨日某所でよしながふみきのう何食べた?』によく似た書名の『今晩、なに話す?』という本をみかけた。外国文学コーナーに並んでいたんで通り過ぎてしまいそうなったんだけど、著者名を再度確認して、他に手を伸ばしてる人がいるところを強奪。そう、あのジュリー・ドレフュス女史(参考:ジュリー・ドレフュス……さば読み過ぎ - 【B面】犬にかぶらせろ!)の著書だったのである。

今晩、なに話す

今晩、なに話す

よほど興奮したのだろうか、まだ6月前だというのにじんわり発汗しておる僕であった。
サバの夏が来た (白泉社文庫)

サバの夏が来た (白泉社文庫)

ひとまずこれ一冊で終わりにしても良かったんだけど、他の本も数冊手に入れ手、その場を後にする。

家までダッシュ。エレベーターを待つのももどかしく、手に鍵を持ったまま階段で駆け上がる。心なしか鍵がいつもよりきつく感じられ、回るのもゆっくりとしてるような気がした。

ドアを開け、靴を脱ぎ散らかし、居間に入って、そのほかの本をひとまずツンドク用スペースにぽんと置いて、ひとまず洗面所に向かう。この時期外から帰っての手洗いは大事。
居間に戻り、せっかくジュリーの本を読むんだから(ジュリーが読むを読むのかもしれない)と読書のお供は紅茶にしようか日本茶にしようかと考える・・・、あ、ジュリーはイギリスとは海峡挟んで犬猿の仲のフランス生まれだということを思い出し・・・たんだけどメンドクサいんで麦茶にする。
てこって座椅子に座り、ゆっくりと本を開き、「著者略歴」を眺める。
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ない。
生年が書いてない。
これでは先に手を伸ばしながら、僕に横から奪われたあの人がむくわれないではないかと嘆きながらも、萎えそうになる気力を振り絞り、本文をダッシュ読みする。
みつかった。

でも、28歳といういい年になるまで、この手の不潔な問題に出会わないでこれたのということは、それだけで充分に幸運なことだろう。
「聖なるハリウッドで知らねばならなかったこと・・・」172頁

でも、この本は「マリ・クレール」で92年5月から97年4月までに連載された「不思議な国のジュリー」を編集したものなんだけど、この「聖なる・・・」そのものが掲載された号数までは書かれていない。前から年次順に並んでいるのであればおおよその年月日は推測できるのであるが、どこにもその保証はないのだ。例えばこれが94年、もしくは95年に書かれたものであればこの時点では「正直申告」であった証拠となるのに(95年というのは「今からちょうど1年と少し前に」ハリウッドに行ったことを振り返る記事なので、もしかしたらその時点での年齢を書いているかもしれないので)。


やれやれ、である。