「おいおい」と「うわああああん/えーーーーん」

先日から頭のスミにこびりついてる「『ハッピィ・ハウス』って岡崎にとっての『夏の日の漠』かも」問題。
そのおぼえがき。

つるばら つるばら (あすかコミックス)

つるばら つるばら (あすかコミックス)

ハッピィ・ハウス (Giga comics)

ハッピィ・ハウス (Giga comics)

『夏の日の漠』の走次くんと『ハッピィ』のるみちゃんに共通しているのは、上手くいってない家庭や学校に直面している早熟なコドモなんだと思います(走次くんが「早熟」で、るみちゃんが「ソージュク」ってなニュアンスの違いを見ることもできるでしょーが)。
単に早熟ってだけならさほど問題ではなくて、例えば

山崎浩一はこんな風に書いてます。

○僕はものすごく早熟な少年だった。早熟すぎるというだけで幼稚園でも小学校でも(要)*1問題児扱いされた。近所の小学校のお姉さんとお医者さんごっこしたのは5歳の時。クラスの女の子をモデルのポルノ漫画を描いてクラスの男の子に売っていたのは小学校4年生の時。職員会議でも僕がしばしば議題に登<ママ>ったそうだ。通知表の通信欄には「学業に於ては抜群だが素行に問題あり。世間を評論家的に見下すのが心配。児童文学を読む等子供らしい遊びをご指導下さい」なんぞと書かれていた。
○そんな"ご指導"をその後も一向に施さなかった両親のお陰で、僕は幸福な少年時代を十二分に満喫することができた。

二人はこんな周囲を持ちえてないから「不幸」なんだと思います。まあどう違うのかはおいおい考えるとして。


で、「おいおい」という言葉を遣いましたが、『夏の日の漠』のクライマックスのあの走次くんが泣くシーン―『野性時代』でも島本理生さんの頁で引用されている「いいんだ」の一個前のコマ*2での走次くんの泣き声は「おーいおい/おーいおい」です。かたや『ハッピィ・ハウス』でるみちゃんは部屋に戻っての「二人を見て/泣いちゃった/でもなんで泣いちゃったんだろう?」*3で「うわああああん/えーーーん」と泣いてます。

子供は「おいおい」とは泣かないんではないでしょうか。この擬音の違いにこの二つの作品の違いがあるような気がしてきました。
もいっこいうと

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

で激しくすずちゃんが泣けたのもシャチ姉ら香田姉妹の前だったからだと思います。

やはりシャチ姉が言うとおり

子供であることを奪われた子供ほど哀しいものは*4

ないわけです。

*1:原文は○の中に要

*2:上記アスカ版で66頁

*3:愛蔵版で192頁

*4:「時雨雨のやむ頃」47頁