岩館と岡崎の接点/切断面?
ヤマダトモコさんの「岡崎京子を大島〜岩館ルートで捉えることは最大級の評価」*1を全面的に信用して、岡崎京子から岩館真理子(それから大島弓子)を読む(というか面白がる、わかろーとか思わない)なんてことをしてた。
まあそんなかでまた、今年になって妙に気なってる岩館作品が
- 作者: 岩館真理子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1986/03
- メディア: 新書
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お話はってーと、町のミスコングランプリな浜田山たるみとアイドル・女優の卵絵口まりという瓜二つ*2な美少女の「王子と乞食」的に入れ替わるってなもん。ここで「浜田山」にこだわって、『ハチクロ』の岩館キャラ山田あゆみが浜田山在住ってーのをうんたらかんたらしてもいいんだろうけど、まあそれはよしとする。
そんでもって、その「役割交換」のきっかけが「死」っていうとこに、上記のルートを感じ取ることも可能だろうけど、それにもあんまり興味がない。しょっぱなの「私は自分のことが好き」はまさに岡崎的っちゃーそうだ。
で、それよりも妙にひっかかるコマがあって、それがコミックス135頁の
ポカーンとした部屋に女の子と文字という構成のこのカットに「ルパン三世」の企画書の至言
この作品にはただの自動車などというものは一台も登場しません。"自動車"などというものは存在しないからからです。存在するのはポルシェ911S・・・ミニクーパーSといった具体的な車種のはず*3
の「自動車」を「おヨーフク」に置き換えるといいような気がしてる。その服はおそらく「実在」するものだ…といってもそんなマンガ家はいっぱいいるだろうけど、それでも何となく「おヨーフク」:「お話」の力の入れ様具合というか、そのあたり。
たーだ、例えばこの時に流れてる「音」に違うような気もする。岡崎のそれが具体的な「曲」が流れているようなのに対して、岩館の方には(コピーライトフリーな)「音楽」が流れているような。
少女漫画に出てくるミュージシャンいろいろに岩館の名前がないからの思いつきなんだけどね。
*1:
*2:岡崎の「ドッペルゲンガー」に直接影響しているとまでは言えない、と思う
*3: