「狂」の描写のムツカしさ

僕にはよくあることなんだけど、いくつかの本を並行して読んでて、その多くが途中でほたってしまう。
で、今読んでるのが

歴史の中の遊女・被差別民―謎と真相 (別冊歴史読本 (45))

歴史の中の遊女・被差別民―謎と真相 (別冊歴史読本 (45))

天人唐草―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)

天人唐草―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)


まあ強引に「狂」(や「遊」)で共通点を見出してもいいんだろうけど、ひとまずパス。

『天人唐草』の絵について。

表題作「天人唐草」の冒頭の空港*1での岡村響子(30)に?。最初周囲の人間が騒いでる理由がわかんなかった。最後まで読んで、あれが戦前戦中の思考(あれは決して日本古来の「男」じゃないよね)から抜け出せない父親の抑圧と保護から開放された「女」が精神の平衡を失ったのを表しているってのが分ったんだけど。
この作品が書かれて30年。今現在あの外観で空港に現れても、ひとまず大騒ぎになるほどの「狂気」の表現にはならないと思う。せいぜい変わった趣味―もしくは『おネエ★MANS』で晃ちゃんやIKKOさんから「おブスね〜」とメイクと服装を指摘されるようなもんに過ぎないんじゃないかと。
案外響子の父のような頭が固い(もっといえば頭が悪い)男は今でも存在しているだろうから、この話自体はいまでも有効だと思うけど、どんなかっこうすればアレを表せるのか考えるとすぐには思い浮かばない。今、ひょんなことからこれを映像化*2する場合、困ると思う―こんなときだけ「原作に忠実」ってなことになりそうだけど。

ひとまず30年という時間差を考えさせられてしまう。

その次に収録されている「ハーピー」についていえば、逆な気分を味わった。
ここで佐和が苑子に見るハーピーのイメージは、明らかに「ハーピー」とその他のモンスターの混同(バンパイラ等)*3で、おそらく作者は確信的にそれをおこなっているのだと思う。そんな混乱も含めた錯乱(たぶん幼稚さも含まれる)を表現しているのなんじゃないかと。

諸星大二郎が「アダムの肋骨」で描いたハーピーの方が原イメージに近いってことで、その差を考えてもいいんだろうけどパス。

失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)

失楽園 (ジャンプスーパーコミックス)

そんでもってHarpye/Harpuia/Harpyなんかでイメージ検索かけると、案外山岸ハーピーな画像がヒットするのだ。この作品が影響してるかどうかはわからんのだけども。



佐和くんはともかく、響子ちゃんは高校で美術部や漫研に入ってればここまで歪まなくてもすんだのにとか無責任なこと思ったり。

*1:福岡行きってのは萩尾望都を意識してる?

*2:映画、OV、テレビ(順不同)のどれであろうと

*3:蝙蝠は鳥じゃないし