岩館真理子のアナルシーanarchie

岩館真理子は密かに「少女マンガ家の教理問答」なるものを作成し、それを実践しておるのではないかと思うときがある。

少女マンガ家は「死刑!」を宣告されている存在である。少女マンガ家は常識的なコマ割り、物語、構成を持たない。彼女たちの内にあるすべてのものは、少女マンガというただ一つの思想、ただ一つの熱情に捧げられている。


例えば

白いサテンのリボン (YOUNG YOUコミックス)

白いサテンのリボン (YOUNG YOUコミックス)

の収録の各エピソードは最後の1頁もしくは一連の詞で物語の決着は放棄され、宙に舞う、ひらひらと。これが大相撲のその日の取組が全部うっちゃりだったり、プロレスのその日興行で全試合が乱入の末のノーコンテストだったりすることを想像してほしい。

マジで彼女(とその愛読者)は小鳥のように自由だ。

例えば

キララのキ (1) (ヤングユーコミックス)

キララのキ (1) (ヤングユーコミックス)

ノザキユリは『20世紀少女マンガ天国―懐かしの名作から最新ヒットまでこれ一冊で完全網羅!』でこの作品を

構成の複雑さと、あえて現実感をおさえた作画のために、描かれているのが登場人物の心象風景なのか、彼女らの狂気が見せる幻なのか、それともファンタジーなのか超現実的な演出なのかが、一読ではわからない

と紹介したが、これがアナルシーでなくてなんであろう。

ここであのふわふわしたものがアナルシーだって?と思った人はもう一度勝田吉太郎の文章を読み直した方がいい?

ゴドウィンは、理性的な討議と説得とを通して社会変革を達成しようとした。プルードンとその一派は、平和裡に協同主義的組織を拡大強化するという仕方で同じ目標を獲得しようとする。トルストイとその弟子たちは「国家のボイコット」を説く一方、いかなる場合にも暴力に訴えるのを断乎拒否した。クロポトキンはテロを容認しはしたが、それは一定の条件を附してであり、しかも内心はしぶしぶそうしたにすぎない。これに反してバクーニンは(おそらくネーチェフの影響下に)テロと暴力革命を謳歌した。
このように見てくると、アナーキズムの教説は当初からテロリズムと不可分に結びついたのではないことが判明しよう。

そう、アナルシーの実現に向けて、必ずしも銃や爆弾を必要としないし、中指立てて安全ピンだらけの服を着る必要もないのだ。


それにしても彼女たちは自由だ。

アリスにお願い (ヤングユーコミックスワイド版)

アリスにお願い (ヤングユーコミックスワイド版)

の愛読者という吉本ばななとの巻末対談

吉本 (略)岩館さんなんて、作品そのもの!本当におキレイで、モテルタイプに見える。(後略)
岩館 せっかくエッセイにまで書いていただいたんだけど、それってちょっと違うから恥ずかしい。
吉本 いやいや絶対
岩館 モテるタイプと実際にモテるのはちがうし

いやー、実際に乗ってる写真はどうみても小西真奈美にはみえんし、それってモテるタイプですら(略)


それにしても日本語の「自由」はムツカシイ。

現代のアナキズム (1967年) (三一新書)

現代のアナキズム (1967年) (三一新書)

中世再考 (講談社学術文庫)

中世再考 (講談社学術文庫)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)