少女漫画と革命の時代

今まで「24年組」って意味もよく知らなかったんでWikipediaのそのあたりの記事を読んでたら、『別冊宝島288 70年代マンガ大百科』のことが書いてあったんで本棚から引っ張り出す。そんでもって「70年代は、この才能を抜きに語れない キャベツ畑の革命的少女マンガ家たち」を読む。早い話が大泉サロンの最高実力者増山のりえのインタビューなのだが、これが面白い。
萩尾望都竹宮惠子の二人に本の素晴らしさを教えたり、少年系を勧め「少年愛」に導いたという増山さんの言葉が素晴らしい。

近所に住んでるマンガ家の先生と道で会っても、認めてない人だと挨拶しないの。向こうは?こんにちは?とか言うのによ。ケーコたんが挨拶するでしょ、そしたら?挨拶したらダメ!バカがうつる?とかって言ったの。

今だったらアンテナ、RSSリーダー、ブックマークなんかも意見されるんだろうな。そんなサイト見ちゃダメ、そんなブログ読んじゃダメ、バカがうつる!

そんで、今回もっとも興味深かったのが次の下り

大泉サロンって、実際は短かったんですよね。70〜72年の3年間だけ。あのころは安保闘争の時代で、私たちはみんながみんな運動に参加することはなかったなかったけれど、気分的な余波みたいなものを受けていたんです。でも、挫折感はないんですよ、だって、私たちはマンガで表現し続けられて戦い続けられたから、挫折を味あわずにすんだんです。

この言葉っていろんな意味が読み取れるような気がするんだけど、ひとまずその時代ってのがどういう時代だったかを『新左翼二十年史 叛乱の軌跡』の巻末の年表からテキトーに拾うと

70/3/31  赤軍派9名、日航機「よど号」ハイジャック
 /8/4  厚生年金病院前で東教大生・海老原俊夫(革マル派)の死体発見
 /10/21 国際反戦デー 全国で集会、デモ219名逮捕
71/7/15  赤軍派、日共革左、統一赤軍(後に連合赤軍)結成を宣言
 /6/15  全国全共闘・全国反戦、明治公園で沖縄返還協定阻止の集会
      中核と反帝が内ゲバ 全共闘分裂
 /9/16  三里塚第二次強制代執行、東峰十字路にて機動隊一個大体殲滅。
72/2/19  連合赤軍坂口弘ら5名 あさま山荘にたてこもり銃撃戦展開
 /3/7  連合赤軍、リンチ事件発覚 計14名の遺体発見
 /5/30  日本人ゲリラ三名、テル・アビブ国際空港を攻撃 
      奥平剛士、安田安之死亡、岡本公三逮捕
 /10/21 国際反戦デー、全国数百ヶ所で集会とデモ
 /11/9 東大病院アーケード下で早大生・川口大三郎の死体発見

とこんな感じ。それから先日放送されたNHKhttp://www.nhk.or.jp/himekuri/「昭和44年」で「ゲバゲバ90分」と「ピーター」が取り上げられていた。