テクノポップと歌謡曲についての抜書き

YMOとはミュージシャンシップの点で対極に位置するプラスチックスが、演奏者としては素人という立場に開き直ることで、ある意味YMO以上に"テクノポップ"的な音楽を作り出した事実も興味深い。
(略)
リズムボックスがもたらすスイングしないリズムに乗って歌われるたどたどしい英語の歌詞は、日本のポップスが往々にしてはらむキッチュな魅力を、逆説的に浮き彫りにするものだった。
真保みゆき「テクノポップスの時代 縦割りリズムがもたらした匿名的な"明るさ"」『ロック・クロニクル・ジャパン 1 (CDジャーナルムック)

テクノポップとは音楽のジャンルや単なる手法ではなく、優れたフェイク文化(=精神)であった。(略)
たとえば「テクノポップ」とアイドル歌謡の結びつきである。アイドル歌謡服部良一の昔から、「大阪弁モダンジャズ笠置シズ子」といった異種交配や、流行を軽率にパロってみせるなど、ポピュラー音楽の実験(フェイク)場として機能してきた。
「テクノが日本に根づいた由来」『日本ロック大百科〈年表編(1955~1990)〉 (宝島コレクション)

テクノポップがブームとなったことを受けて、とにかく流行りモノを表面的に取り入れて目新しさを演出しようとする歌謡曲の世界がそれを放っておくはずがなく、さまざまなテクノ風の歌謡曲が登場した。それらの楽曲には、歌謡曲の側の作家たちが挑戦することもあれば、テクノの側のアーティストが手がけることもあった。
なかでもダイレクトにYMOをイメージさせる"京平版テクノ"の代表作が、80年の榊原郁恵の「ROBOT」だ。

葉月時広「テクノ・ニューウェーブの波は歌謡ポップスにとって、大いなる実験の場となった」『歌謡ポップス・クロニクル―素晴らしき歌謡曲に愛をこめて (特集アスペクト)

(前略)宇宙から来た3人組という荒唐無稽なコンセプトで登場したスターボーも忘れられない。デビュー曲「ハートブレイク太陽族」は松本隆細野晴臣コンビの作品で、一部で名曲との誉れも高いのだが…。

同じく松本隆細野晴臣の手になるイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」は、YMOの細野自らパロディ化した楽曲。そのYMOを模した彼らのパフォーマンス(振り付け?)もはまっていた。

のカバー
「同上」

おまけ
スターボー
http://www.youtube.com/watch?v=b3FyQzbTGuM
http://www.youtube.com/watch?v=NXMAhwvPbps&feature=related