1958年10月12日の後楽園球場

1958(昭和33)年10月12日、それはその年のプロ野球日本選手権で"鉄腕"稲尾和久も"悲劇のエース"藤田元司も登板しなかったただ一つの試合。
1958年の日本シリーズ - Wikipedia
昨日からこのシリーズに関するニュースがどんだけ流れたことか。しかし、そのどれもが鉄腕稲尾の"四連投四連勝"という表現をしている。訃報に触れ、悲しいふりをしても記録を確認しようともしない人たち。
稲尾は第3戦にも先発して負け投手になっており、5連投なのだ。

各試合の投手

第1戦
(西)●稲尾(1敗)、島原、河村、若生、畑
(巨)藤田、○大友(1勝)
第2戦
(西)●島原(1敗)、畑、西村、河村
(巨)○堀内(1勝)
第3戦
(巨)○藤田(1勝)
(西)●稲尾(2敗)
第4戦
(巨)大友、●藤田(1勝1敗)、義原
(西)○稲尾(1勝2敗)
第5戦
(巨)堀内、藤田、●大友(1勝1敗)
(西)西村、島原、○稲尾(2勝2敗)
第6戦
(西)○稲尾(3勝2敗)
(巨)●藤田(1勝2敗)
第7戦
(西)○稲尾(4勝2敗)
(巨)●堀内(1勝1敗)、藤田、義原、大友
両投手とも1、3〜7戦の計6試合に登板し、そのうち稲尾が1、6、7の三試合の完投。藤田が3、6の2試合で完投している。それぞれ4勝2敗、1勝2敗の勝敗が記録されている。
ついでに言うと翌年は杉浦忠の四連投四連勝のスィープで日本シリーズが終わっている。
こういう機会にあと二人の大投手を思い出し、知らない世代に伝えていくことも重要なんじゃないかな、と思う。といっても僕も生まれてないんだけどね。
※このシリーズのことが(妙に)詳しく書かれている本

「死に損のうて」

「死に損のうて」