この本が日本で出版されたのも1989年だった

ここ一ヶ月行ったいくつかの新古書店の105円の棚に必ず(店によっては2冊も)

ストーリー・オブ・マイ・ライフ

ストーリー・オブ・マイ・ライフ

が並んでる。ホント行くとこ行くとこ、全部そう。おそらくこの本を本棚に並べている人間なんていないんじゃないか、と思ってしまい、何だかカワイソウになって本置き場の奥をごそごそして読み返そうと思った。
で、3分の1くらいまで行って、だんだん"ヤな気分"が溜まってきてパタっと読むのを止めてしまった。僕が本を途中でほっぽり出すのはしょっちゅうのことなんで、ちっとも珍しいことじゃないんだけど、なんか他の本を途中でってのとはどっか違うような気がする。
読み始めは、出版当時を懐かしんで、これって「NYトンガリキッズ」だよな、いやいや「NYガールズブラボー」かもよ、なんて戯言や「このラストって『ライ麦』っていうより太宰治の『人間失格』?ってなトンチンカンを思い出して、それなりに楽しもうと思ったのだが、ページが進むにつれて正直つらくなってきた。
主人公の名前のアリスン

やら

だから、わたしも歌うわけ
 君はただのパーティ・ガールだってさ
 世界に百万もいるそんな娘の一人だってさ
二人はゲラゲラ笑った。わたしたちってエルビス・コステロだーいすきだもんね。

なんてのもあのころほどときめかなくなった。
それどころか『ロスト・イン・トランスレーション』のカラオケシーンの「(What's so funny 'bout)peace love & understanding」思い出してしまって、さらにヤになってしまったほどだ。
まあ、確かにこの小説ったらソフィア・コッポラ監督、スカーレット・ヨハンソン主演で映画ってのがぴったりちゃぴったり。
でも、『再会の街~ブライトライツ・ビッグシティ~ [VHS]

で、自ら脚本を執筆したマキナニーと、自分のこと思いついたことを単にだらだら撮っただけでオスカーの脚本賞を獲得した娘コッポラの意見が合うはずがないか。日本への留学経験がありながら、来日の際のイベントで簡単な日本語の挨拶を済ました後にあっさり日本語わすれちゃったんで英語で話すよなんての賜った男と、日本に気ながら日本人や日本語に触れ合おうともしない映画を作った女なんだけど、いや、そういうヤツどうしだから意見がかみ合うはずがない。ま、一番はソフィア姫にしてみればわざわざ他人の原作なんか必要としてないか。
ちなみにこの本の翻訳はマキナニーとは旧知の仲で彼の日本への紹介を新潮社の編集者と奮闘してきた宮本美智子なんで、『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』の高橋源一郎、『ランサム』の筒井正明よりもずっと「ロスト・イン・トランスレーション」は少ないんだろう。ただ、そうであるからこそ、そして訳者が女性であるからこそ、ある種の生臭さが漂っているような気もする。こういうのは旬を過ぎる足が速い。
それに今だったら、PC開いてネットにつなげれば、そこらかしこでアリスンのブログが読めるから、わざわざ金払って外国人作家のお話を買う必要もない、かも。


で、ふと新古書店に売りに行ってるのは「オトコ」と「オンナ」どっちが多いんだろうってなな疑問が湧いてきた。
案外押入れの奥にしまってるのび太はそれはそれで多そうな気もする。

※89年の僕だったら『LIT』を絶賛したのかも、という気もしてきた。