「サムライ」に対する誤解

彼の死に方には、いにしえの武士の死に方と相通ずるところがないわけでもないのだ。
 なんとなれば、松岡大臣の死は、まったくの無駄死にであり、サムライというのは、組織防衛のために無駄死にしたメンバーに対して、残された者が諡(おくりな)として捧げる称号みたいなものだったわけだから。
http://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/05/post_3a7b.html

これって思いっきり「サムライ」=武士に対する誤解である。少なくとも「戦国時代」の武士は無駄死になんて望んでないし、武将は配下を無駄死にさせようとはしていないのだ。「国家」が兵員を補充してくれる近代国家と違って、あくまで自分で兵を工面しなければいけない戦国時代の武将はそんなことはしない。
「玉砕戦」なんてことを信長に問うたら、鼻で嗤われるに違いない。

信長の戦争 『信長公記』に見る戦国軍事学 (講談社学術文庫)

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この誤解は「封建制」との誤解ともセットだ。

西欧のフューダリズムで複数の契約関係や、短期間での契約破棄・変更がみられたのと同様、日本でも実際のところ戦国時代まで主従関係は流動的なものであり、「二君にまみえず」という語に示されるような主君への強い忠誠が求められたのは、江戸時代に入ってからである。
封建制 - Wikipedia

封建制」とは「ご恩」と「奉公」の関係であって、絶対服従のガチガチの関係ではない。これは武士が官僚、小役人化してくる江戸時代=徳川時代に「武士道」なるものが確立し、広く人口に膾炙したのが明治時代以降であるというのを考えてみたら解る。
これはまた「個人」というものへの誤解ともセットだ。確かに「個」人という言葉は、翻訳語である。

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

ただ、「個人」という言葉はなかったにしても、武士は「己」をしっかりと持っていた。戦国の気風を色濃く残した「赤穂事件」での、彼ら播州赤穂武たちが事件直後から決して一枚岩ではなく、さまざまな考えを戦わせてる。ちなみにこの時城明け渡し時に「抗議の自決」という意見も出てるが、とっとと退けられてるのだ。「無駄死に」するのが武士ならば、このことを説明することはできない。当然、石原の方もこのような「史実」を思いっきり無視して、都合の良い「サムライ」観を示しているだろうけど。
もういい加減「サムライ」や「武士」を「家」や「国家」にとって都合の良いものと考える誤解を解いた方が良いんじゃないかと思う。