志穂美文音

Mixiのコミュも立ち上がり、今後の活躍が期待される長渕文音さんの初主演映画の正式タイトルが決まったそうです。
いままで『コスモ、光明(ひかり)のなかへ(仮題)』などと表記してあって、ご母堂志穂美悦子様ご出演の

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の「光明寺博士」を連想させるグッドタイトルだったのですが、『チルソクの夏』『半落ち』『カーテンコール』の監督、佐々部清さんの公式サイトの「ほろ酔い日記」によると、三本木農業高校、馬術部だそうです。
まあ昨年6月のWEB東奥では『十和田農業高校馬術部』(仮題)となっているので元の形に戻って、さらに学校名を実名にしたということですね。そこに『世界の中心で、愛をさけぶ』やら『いま、会いにゆきます』で泣ける人たちを訴求層と見込んで「、」を入れるとは東北新社もやるもんです。でも同じ東北を舞台にして、女の子のスポーツを題材にして、これまた不必要に「、」が入った『素敵な夜、ボクにください』が西日本ではさっぱりということはご存知でしょうか。
それにしても県立高校の名前が劇場映画のタイトルになるのは素晴らしいことです。の『高校大パニック』が『福岡高校大パニック』になるようなもんですからね。
特報が「大恐慌 パニック」で始まる

にお母様ご出演されてますしね・・・・・


それはさておき「乙女の像」で有名な「十和田」ではなく、三本木を選択したのはどうなんでしょうね。

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確かに『八甲農業高校、馬術部』だったら、「天はコスモを見放した」ってな救いのない映画になりそうなんでアレなんですが、もしかしたら日本映画データベースで「十和田」と検索する人が出てくることを予想して、『美人秘書 おしゃぶり接待』と並ぶことを嫌ったのかもしれません。

『私、コスモの目になる』

気になる映画の内容ですが、「盲目」と訊くと上記コミュに名を連ねてらっしゃる方々は悦っちゃんの娘さんが"「盲目の女ドラゴン」と化して、愛する家族(兄は麻薬Gメン)の命と彼女視力を奪ったにっくき敵に復讐を果たす"とか、"「盲目の女王コスモ」を救ったことが原因で暴力団との衝突して少年院送りになって、脱獄してヌンチャク片手に・・・"なんてことを想像されるかかもしれません。
が、そこはそこ製作が東映じゃないんで原作を1ページたりとも読んでないなんてことはありませんので残念です、いや・・・。
ということで原作の

を読んでみました。
最初、そのツクリに呆れました。マジでスカスカなんですよ。使ってる紙が心なしか厚いようだし、字は大きいし。
でもって、最初湊華苗さんの手記として発表するつもりだったのか、著者の実力なのか、ホント高校生の作文読んでる気分になったですよ。
例えば

 馬術部に新一年生が入ってきた。男子5人、女子4人の9人になった。
 華苗は1つ先輩になったが、結局同期で残ったのは、華苗と優子ともう1人、冬に1度止め、再び戻ってきた男子の3人だった。

などは「男子5人、女子4人の9人」が部員全員ということでしたら「新一年生が入ってきて、馬術部は男子5人、女子4人の総勢9人になった」の方が良いでしょうし、新入生のことでしたら「9人だった」ですね。改行してる意味もよく分かりませんしね。縦書きなのに算用数字を遣うというのはもう慣れちゃいましたけど、「1度」というのはいかがなものかと思います。
で、それから最初に登場して一瞬主人公かと思われた宗像杏子はどうしちゃったんでしょうか、とかも。


そして何より巻末に年表がないのも含めて、時系列が分かりづらいんです。
タカラコスモスは競争馬として1984年に生まれてるんです。
でもって

平成元年から5年連続で「全日本学生馬術大会」の全日本学生章典障害飛越競技に出場するという偉業を成し遂げ、平成2年には優勝までやってのけた
(P23)

ということなので、全盛期は89年から94年だということになるのですが、失明した当時の文章はこうです。

競走馬として活躍できる馬の全盛期は10年ほどだ。タカラコスモスが活躍するようになってから、たった3年しかたっていない。山内*1の見るところ、優にあと7年は走り、跳ぶことができた。
(P27)

あれ、3年っていうのはどこから出てきたんでしょう。5年連続はどこにいっちゃんたんでしょうか。
でもって次の頁にはいきなり

藤森*2が、その電話を受けたのは平成10年1月のことだった

となりますんで、三本木農業高校にコスモ引取りの連絡が行ったのは98年のことなんですよ。その後には

藤森は5年前に初めて出会った馬のことをすぐに思い出すことができた。東京・世田谷の馬事公苑でも第43回全日本学生馬術大会―。すでに「女王」の名を欲しいままにしていたタカラコスモスに、藤森は目を奪われた。
(P28)

と言った文があります。全日本学生馬術連盟の公式サイトを覗きますと、昨年2006年に第56回大会が開催されていますんで、この第43回は93年ということで23頁とは一致するのですが、やはり"3年間"がどっかに行っちゃいます。というか98年ということは最後に全日本学生馬術大会に出場してから4年も経ってるじゃないですか。全盛期10年を信じるとしたら、どっちみち潮時だったわけで、尚更27頁の文章の意味を疑ってしまいますよね。
ちなみにこの藤森亮二監督を演じるのはギバちゃん(柳葉敏郎さん)らしいんですが、この方厳しい指導をする際には「べらんめえ口調」なんだそうです。江戸っ子なんでしょうか?

あれ、良川先生じゃないですね、これ。欽ドン! - Wikipedia

まあ、そういうことを気にせずに読み進めて行くと、とにかく、ほんととにかく華苗は苦労します。相手はプライドは富士山のように高い女王様でしかも目が不自由。しかも、華苗は全く馬初心者なんです。そんな彼女を「タバコ農家だが、肉牛も飼ってる」のに「育てた牛が三年連続農林水産大臣賞を受賞してる」父は標準語で励まします。
でもって藤森の名馬の血を残したいという強い意志で周囲の強い反対(反対理由の一つに「母親のように視力を失って生まれてきたらどうすんだ」というのがあったそうなんですが、タカラコスモスが視力を失ったのは「前部ブドウ膜炎」という病気のせいなんですが、この病気って遺伝したり、胎児に影響したりするんでしょうか)を押し切って種付けが行われます。
その種付け先の北海道から帰ったころから華苗とコスモに信頼関係が生まれてくるんです。で、難産の末にコスモは牝馬を産みます。

タカラコスモスが出産した仔馬は、生まれてすぐに華苗によって、名前が決められた。
仔馬は「モスカ」。華苗の「華(カ)」とタカラコスモスの「モス」を取って、モスカ。華苗は頭を悩ましたようだったが、藤森はこの名前に賛成した。
「呼びやすいし、なかなかかわいい名前じゃないか」
(p113)

こらこら、なんてDQNなネーミングなん。よりによって「モス」を取らなくても・・・なんて気持ちは一切おきませんでした。それどころか、ぐすっと涙まじりの鼻汁をすすり上げてたんですよ。というかいつのまにかタカラコスモスではなくてコスモなんて書いてるじゃないですか。
と感動していると、足をすくわれました。
そのモスカが移動の際に大人しかったことを藤森はこう考えます。

おとなしかったなぁ、モスカは。車の中で泣くことはあっても、向こうに着くと静かになっていた。やはりタカラコスモスの仔だけある。
(P144)

こらこら、コスモの移動の際のこれはどうなったんですか。

馬運車の運転手は真顔でこう言った。
「もう2度とこの馬は運ばない」
出発時の事件だけでなく、運搬中もずっと暴れ続けていたらしい。往きも帰りも、ひたすら馬運車の壁を蹴り続け、舟に乗せられても蹴ることをやめようとはしなかった。プライドの高さは健在だった。自分のイヤなことには徹底して抗う。そんなタカラコスモスらしさを、華苗はむしろ好ましく思うようになっていた。

やれやれ。
でも、何のかんの言って「コスモと華苗の関係」は感動的ですよ、はい。



てこって、映画は1年かけて撮影されるそうなんで(もしかして順撮り?)、2008年の公開を待ちましょう。

※参考
http://www.kamikita.asn.ed.jp/~ah/
http://www.net.pref.aomori.jp/~towada/
盲目の名馬タカラコスモス@ブッ駒
サクラシンゲキ@馬家族

佐々部清 - Wikipedia

*1:当時タカラコスモスがいた日本獣医畜産大学馬術部監督

*2:三本木農業高校馬術部監督