葉月里緒奈のアッチョブリケ!

しょっぱなのTBS→OZにこれって「ほんとは怖いまんが日本昔ばなし」という気になるが、それは僕の単なる思い違いである。また、オープニングが僕には『アナザーXX赤い殺人者』ぽかったんで(いや今回は殺される方が赤い服着てたんだけどね)、あれこれって黒沢直輔監督だったっけ?なんていうくだらないボケを僕の脳みそが連発するのは、やはり余計な替え玉のせいに違いない。映画を見る前に替え玉はしない方が良い。
でもって「FBBの裁くのは〜」のガース先生の発言のおかげで、安心して役所広司の「お前は誰なんだ」に笑ってしまう。
ちなみにムンクの『叫び』は、画に描かれた人物が叫んでいるのではなく、彼は耳を塞いでいるのだから、葉月のあれはアッチョンブリケへのオマージュ・・・なわけないか。いや、ピノコの設定「塩分の濃い海水なら3分間だけ泳げる」に注目すればまんざらでもないかも。やはり余計な(以下同上)
それから、妙にBGMが『ファイナルファンタジーVII』のジェノバのシーンにかかる曲に聴こえてしまい、もしかして葉月は役所の母で・・・なんて間違った考えが浮かぶ。やはり余計な(以下同上)

いや、だからあれは「ウブメ」なんで、それも子供の方・・・やはり(以下同上)
ではいったい"お前はだれなんだ"。

日本の幽霊は突然にはあらわれない。
中国の瞿宗吉の『牡丹燈記』においては、最初から牡丹を手にした幽霊があらわれるのだが、『牡丹燈記』に基づく三遊亭円朝の『怪談牡丹燈籠』においては、阿露という女の、一途に清らかに打ち込む恋愛のさまや、悲惨な死に様がまずもって語られ、それから時を経て幽霊があらわれるというふうに語られる。
つまり、日本の幽霊は、この世の限りない悲惨を経験した後に、その悲惨を耐えた一時期を経た後にあらわれるのである。

近年の日本の幽霊はこの以前の定型を踏み外している。が、それにつづく文の

幽霊においては<時間>は停止する。
幽霊の《時》は<うらめしさ>が消えないかぎり、永遠につづく形で停止する

はしっかり踏襲されている。
いや、だからお前は誰なんだ。

じゃないことは確かだ。ピアノ線燃えてなかったから・・・やはり(同上)

うーーん、やっぱり葉月里緒奈の赤い服の女はピノコなんだよ。
ピノコは赤い服を着ている。
☆でもってピノコは完全な姿でこの世に初めから存在していない。
ピノコはBJに救われたが、葉月は救われなかった。あの美しい姿はピノコの"レディなのよさ"ってな願望の現われである。
アッチョンブリケ