僕らとミュンヘン

明日『ミュンヘン』を観に行こうと思ってるのだが、その前に僕にとってのミュンヘンオリンピックをちょっとだけ考えてみようと思う。
実を言うといわゆるミュンヘンオリンピック事件のことはさほど記憶にない。その年の2月におこった浅間山荘事件はおぼろげに憶えていて、TVの前で知り合いのお兄さんが「二階級特進やね」とつぶやいたのが凄く印象的だった。まあ「二階級特進」の意味なんか分るはずもなかったけど。ただ、映像の記憶はその時のものか後の番組で見たものか挾田かではないが、なんだか周りが普通じゃない雰囲気だったのは忘れられない。
まあオリンピックに関しては「東洋の魔女」が金メダルを逃したのに対して、男子が「ミュンヘンへの道」を切り開き表彰台のてっぺんに立ったということくらいしか覚えていない。
おそらく多くのアメリカ人もさほどテロには関心がなかったに違いない。そう、その年のオリンピックではそれ以上にショックなことがおきていた。男子バスケットボールチームが五輪史上初めて、それも疑惑の判定で破れてしまい、その結果表彰式をボイコットしたのである。
時は流れて一昨年のアテネ五輪バスケットボール男子チームUSAは3度目の敗退をしたが、米国の反応は比較的平穏だった。まあ3度目にもなれば慣れてもくるだろうし、他国の選手も大学・NBA等の米国内でプレイしてる人間も多かったからかもしれない。それ以上に代表辞退が相次いで満足なチームが編成でなかったため期待を抱けなかったことが大きい。
辞退者の中には「ラショーモン状態」だったコービーや負傷者がいたことも事実だが、テロを危惧したゆえの人間もいたという。ミュンヘンの時より現在の方がオリンピックとテロが多くの人間にリアルに感じられる時代なっってしまったのである。
それじゃ、僕ら「日本人」にとってはどうかというと、おそらくリアルさが(あるとしたら)全く別の位相に立っているのではないだろうか。ミュンヘンオリンピックの行われた1972年、その5月イスラエルのリッダ空港(ロッド空港・ベングリオン空港)現を襲撃し、26人もの貴重な生命を奪ったのは日本人である奥平剛士、安田安之、岡本公三らアラブ赤軍(後の日本赤軍)である。彼らへのシンパシーの有無はともかく、日本人にはテロの遂行者が日本人の中から出てくることはあっても、日本がテロの標的になるという意識は少なかったであろう。
9.11以降、日本はおそらく狙う側ではなく狙われる側*1に回ったようである。
ミュンヘン』は他人事ではない。
参考http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/teru.htm

*1:当時であっても「日帝」企業は狙われる側であったろうが一般の日本人を狙ったテロは想定外であったはずである