大人のタダシ考

いやもういい加減『妖怪大戦争』じゃねーだろうという気もしてきたしー。
で、一日置いた‐といってもほとんど考えてなかったけど‐『妖怪大戦争』の大人のタダシのシーンのこと。
まあ、「いらね」というのも御尤もで、せっかくの神木くんの名演を台無しにしてないとは言い切れない。しかし、二回目を観終えて「あれはあれであり」と思うことにした。でもってあのシーンにはどういう意味があるか、ちょっと書き出してみる。
◎ひとまずああいう「特殊」な体験をしたにもかかわらず、タダシは普通の「大人」ー妖怪が見えないーになったということを伝えたい。
◎加藤の代替わり再登場までの必要な時間をあのシーンで表している。ただし、これは「代替わり」を前提にしているので、あのシーンで加藤が小豆によって浄化されていると仮定しての話。
◎とにかくあの家では長年麒麟送子に選ばれたことを光栄に思っていて、あの手ぬぐいを大事にしていることを伝えたい。
なぜスネコスリが半透明なのかについては
◎衣装がジイジモードになってることから、(ジイジに託されたか何かで)タダシへのジイジの思いを受け継いでいることを現している。でも、大人になったタダシにはそれが感じられないという儚さの表現がしたかった。


 いや、それでもいらねーよという気もする。であとは邪推。
◎多分シリーズ第2弾の企画がすでにあって、大人のタダシからそれが展開することに決まっている。
◎単に自転車でお花畑(コンクリートではない人間と自然の関係)という絵柄が欲しかっただけ。だったら神木くんでいいじゃんと言う疑問には、あの時自転車を失くしてすぐには買ってもらえなかったと言う設定があるのではないかと答えてみる。
◎監督が津田寛治のシーンを増やしてあげたかった。もしくは宮部先生が津田のファン。
◎実際は神木君の予定だったが、文太御大が岐阜に帰っちゃたんで死んでしまったことにして後日談にするしかなかった。

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