『頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書)』

今更ながらちらっと読んだが、フォーカスが甘い本だなという印象。著者の考える(想定している)「頭がいい」があまりに凡庸で、いっちゃあなんだが文章自体が「頭がいい」文に感じられない。
例えば

被差別者をまるで天使のような心のきれいな人だと思い込むのも、差別のもう一つの表れだろう。

ここはまあ問題ない。ただそれに続く文章にはおいおいだろう。

もちろん、脳障害をもつ人の中には天使のような人がいるだろう。大江健三郎の子息・大江光の作曲した曲を集めたCDをもっているが、それに耳を傾けるだけで、彼が天使のような純な心を持っていることがよくわかる。

アッタマ悪ーい。「大江〜よくわかる」までの漢字の使用法が変だし*1、何をそこまで勿体ぶった文になるのという気にもさせられる。また、作者の人格と作品をいっしょにしちゃいけないなんてことも解ってない。*2
結局つまんない「処世術」の本って感じ。まあ出してるとこが出してるとこだし仕方ないんだけど。

私は、感動とは思考の後に生じるものだと思っている。
考える癖をつけることだ。そして、感動するのは、その後のご褒美と考えるとよい。そうして得た感動のほうが、雰囲気で得た感動よりもずっと深くて大きいのだ。

こら、「耳を傾けるだけで」はどこに言った。それにちょっと考えたら「思考」を差し込む隙さえ与えない感動だってありうることも想定できると思うけどなあ。この人自身がもちょっと考える癖をつけたほうがいいと思う。
あとほかにも

ありふれたことしか言わない人がいる。若い人にもこの種の人がいるが、圧倒的に、中高年に多い。

この文自体が非常に「ありふれた」もんだが、一度でいいから「はてな」でもどこでもいいから「若い人」のブログを観てごらんなさい。いかに「ありふれたこと」ばっかりか分るからさあ。その表現法や話題は異なっているのだが、「ありふれていること」しか言わないことに決定的な世代間格差はないのに。そんなことも分んない人が書いた本をよく鵜呑みできるなぁ、みんな。
もう、帯の「"バカ"と呼ばれないための知的実用書」ってのにツッコミを入れる気にもならない。
まあ本当に「頭がいい人」は今更こんな本読まないか、納得。
でも、この本売れてるらしい。内容はともかく、多くの人が「頭がいい話し方」を求めているかのように思える。
が、しかし、なぜニッポン放送の関係者や今回のSBIのCEOとか、どいつもこいつも頭が悪い喋り方してんだろう。
案外「頭が悪い」話し方の方が得する世の中じゃないのか。
少なくとも総理大臣は続けて二人もどうしようもなく「頭が悪い」話し方だもんね。
まあとにかく新刊で買ってここまで損したと思ったのはしばらく…と書こうともったけど、去年も『懐かしい日本語〜』とか『映画元ネタ〜』があったからなぁ。

*1:「CDをもつ」「心を持つ」の区別に明確な意図が見えない。

*2:だいたいあの件に関しては多少アンテナがちゃんと張ってるひとなら、少なくとも2004年に出る本でこんな記述にはならんわな。