簡単に「S」とか「M」とかいうな!

巷では血液型*1みたいな扱いで、「S」(=サディスト)や「M」(=マゾヒスト)なる言葉がTVや雑誌で飛び交っている。
冗談じゃない。これは簡単に使っていい言葉ではないのである。語源がどうの元来の意味がこうのという話ではない(現代の日本におけるSはマルキ・ド・サドとは関係ないといってもいい)。その姿勢の問題なのだから。
というのも「マニア倶楽部」http://www.sanwapub.com/TOPPAGE/erotica.htmlを数号読んでいくうちに、SとMの不思議な関係性を感じるようになった。そこでお互いは「ご主人様」「奴隷」という役割を割り与えられることになり、最初「調教」という形で関係が始まるのだが、だんだんその関係が深まり、「奴隷」がM性を完全なものにした時、そこからSは普段の奉仕を続けていかなければならないのである。
え、MがSに奉仕するもんじゃないの?という疑問を抱いた人がいたら、一度「マニア倶楽部」を読んでもらいたい。半端な気持ちではSにもMにもなれない(たりえないの方が相応しいかも)ことが分るから。
証拠に01年2月号に紹介されている、橘淳一氏への相談の手紙を幾つか引用してみよう。

普通に縛ることさえまともにできないんですよ。そういう人が私を釣ろうとしたんですよ。(略)私は膣炎にかかりました。しかしそのことを訴えても、責任回避するばかりで…

Sには「覚悟」と「責任」と「努力」が必要なのである。とても生半可な気持ちではやっていけないのだ。

自称Sは沢山いるけど、たいていの人はわがままや身勝手を勘違いしている人が多いですね。子供っぽいSなっているはずないのに。

ちょっと、腰が引けたでしょう。僕はこれを読んで、僕にはこんな人の気持ちを受け止める度量なんかこれぽっちもないから、Sたりえないと確信した。
どうです、みなさん。簡単にSとかMなんて言葉使えなくなったでしょう。それにソフトSMなんてもんはソフトパンクなんてもんといっしょの自家撞着だってことも。
人間をSとMに分けることにもできないことのナンセンスも見えてくる。どっちかというとS(もしくはM)などということはありえないのである。そう、SMとは不買う背負った業と向き合うことでしかたどり着くことのできない悦楽の世界なのである。だから、そんな器量も覚悟も甲斐性もない僕は本やビデオで覗き見させてもらう以外にないのである。

*1:ま、その時点でバカ決定だが