『SAW』

http://sawmovie.jp/
いやあ、とんでもないものを観てしまった。
『SAW』だ、『SAW』。
ネットのあちこちで途中でオチが判ったことを鬼の首をとったかのように吹聴しているものを見ると、お目出度い人だなあと思ってしまう。基本的に僕は謎解きには興味ないので、途中で「オチ」が判ろうとどうしようと知ったこっちゃない。まあ、そんなこととは関係なくこの映画の凄いところは実はオチが付いてないところなんだからさあ。
そう、「彼」が「あれ」を持っていないことを、この映画は否定していないことをやつらは見落としている。まだこの映画の物語は終わってはいない。ただそれは、その後の続編がだらだら作られることを期待したような安易な結末というのでは断じてない。ラストで観客が感じた不快感と恐怖だけが続いていくと言うことなのである。
確かにこの映画は途中途中に穴がある。ただし、その穴を心の中で突っ込んでいると満タン返しになって返ってくるから、マジで最後まで気が抜けない...というか観終って、1日以上たった今でさえ気が抜けてないような気がする。
『パルフ・フィクション』以降、敢えてさまざまな情報での補完、DVD等での繰り返しの視聴を当て込んでの映画造りがされる傾向がある。映画館で一度見ただけでは充分に「価値」が掴みきれない類ものだ。例えば、『箪笥』などは副読本が必須であり、あきらかにDVDのポーズ・リピートを想定して作られている。そこをうざく感じるとただの美少女ホラーの一つに堕してしまう恐れがある作品だった。幸か不幸か僕はその魅力にハマったため、文庫を読む羽目になりDVDを予約することとなった。
しかし、『SAW』は映画館の一発でガツンと来る強度を備えている映画なのである。DVDはおろかVIDEOもないころ、人は映画館の中で必至に画面を食い入るように見つめ総てを掬い取るように努め、そして、それが体感としてその血中に残そうとしていたはずである。この映画は僕らにそのようなアティトュードを求めている。一瞬でも見逃したら後悔するぞ!という勝負を挑んでいるのである。*1
久しぶりにいい意味で「人に薦めたくない映画」を観た気がする。J・ワンとL・ワネル*2の二人のオージーがこれで総てを出し切っているとは思えない。近い将来彼らはおそらくもっと凄くて底意地の悪く、僕らを慄かせる作品を作り上げ、今回以上の脚光を浴びることは容易に想像が付く。その時に「え、『SAW』観てねえの。あの時からこいつらの才能は解ってたじゃん」と一人でも多くの人に言いたくて仕方ないからね。

*1:だからといってDVDを買わないという意味ではない。映像特典が今から待ち遠しい。

*2:「Cの悲劇」の時、「初監督作品としては」とか「低予算にしては」とかほざいたやつにはまあこの作品を理解できまい。