こよみについて

こよみの話です。別に女の子の話じゃぁありません。ちなみに"こよみ"ちゃんという名前はhttp://www.dd.iij4u.or.jp/~ume20/f_name/index.htmlには収録されてませんが、子供の名付けDQNランキングでは80%の人が「驚愕した!」と思ってますね。
それはさておき今回の「こよみ」は「暦」のことです。
というのもなぜ2月だけ短いのか? 代わりに31日ある月を30日にすればいいのに - AYS:を読んでちょっと思うことがありましたんで。AISさんの引用の「ジュリアス(ユリウス)・シーザーがローマ皇帝になる前後の時代には動乱が続き、閏月の運用をいい加減にしたため、暦が季節に比べて2ヶ月以上も進んでしまっていました」の中に「閏月」という現在ではほとんど使われない言葉が登場してます。ここではスルーされてますが*1引用先の

ヌマ暦は月の満ち欠けを元にした暦だったため、1年が355日しかありませんでした。そのため、閏(うるう)月を入れることで、季節と暦がずれないように調整をしていました。しかし、ジュリアス(ユリウス)・シーザーがローマ皇帝になる前後の時代には動乱が続き、閏月の運用をいい加減にしたため、暦が季節に比べて2ヶ月以上も進んでしまっていました。

を読めば、ヌマ暦がなんとなく今の「暦」とは全然違う「暦」なんやねということが想像つきます。ではWkipediaで「ヌマ暦」を引くと

1年の長さは304日で、12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続いた。農耕暦だったので、畑仕事のない季節に日付は必要なかったとされる。当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形をとったと考えられる。

紀元前713年、ローマ国王ヌマ・ポンピウスによって改暦が行われ、Jānuārius(ヤーヌアーリウス、29日間)、Februārius(フェブルアーリウス、28日間)がつけ加えられた。このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変えた。平年の1年の長さは355日になる。2年に1度、2月の日数を23日に減じ、2月23日の翌日に Mercedinus(メルケディヌス)という名の27日間または28日間の閏月を挿入した。この時期はまだ年始は3月1日であった。この暦法は、布告した王の名をとりヌマ暦と呼ばれる。ほとんどの月の日数を29日と31日にしたのと、1年の長さを(月の運行に合わせた)354日にしなかったのは、ヌマの信仰が偶数を嫌ったからだとされている。
ローマ暦 - Wikipedia
グレゴリオ暦の各国における導入の歴史

という文章が現れます。あらら「農耕暦」という言葉が出てきますね。これだけでも「西洋=狩猟民族対日本=農耕民族」なんて図式が阿保らしく見えてきますが、それはおいといて、ひとまず「1年=365日」なんてのが初めから決まってたわけではないということだけは解りました。
で、その後の「ユリウス暦」などを経て現在の「グレゴリオ暦」になったということですが、それもすーっとなったわけではなく、その時々のその地の支配者の思惑で「暦」は採用されたということが、その周辺の記事を読めば解ってきます。例えば

グレゴリオ暦導入は、ユリウス暦と太陽年との実際のずれについてロジャー・ベーコンが指摘してから実に3世紀もの間かえりみられず、宗教的な問題が顕著になるまで放置された。
グレゴリオ暦 - Wikipedia

グレゴリオ暦からの日付の後にはNSと書き、ユリウス暦からの日付の後にはOSなどと書いた。イギリスはグレゴリオ暦へ移るのが他国より遅かったため、両暦の日付がしばし混在したので、区別する必要性は高かった。
新暦 - Wikipedia

でもって、上記の「グレゴリオ暦の各国における導入の歴史」で日本は「1873年明治6年)1月1日 」なってまして、その前は違う「暦」を使ってたらしいのですが、まさか「ユリウス暦」が採用されてたは考えにくいので、どういう「暦」を使ってたのか調べてみました。
http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/calendar.htm#01

(3)そして、日本の暦
 さて、日本は古来、自然暦を用いていましたが、政治制度や租税の仕組みができてくると、正確な暦が必要になってきました。しかし、全国を網羅するほど正確で機能的な暦を作成する技術は、当時の日本にはありませんでした。そこで、外国から暦を輸入することになりました。律令制や他の制度と同じく、暦もまた、朝鮮半島を経由した支那暦法が伝えられました。

ところで、暦法の計算方法や計算の基礎となる定数が技術の発達によって新しいものが発明/発見されると、暦法そのものも改訂されます。そのようにして、日本では以下の暦が使用されました。

* 元嘉暦(690〜?)
* 儀鳳暦(697〜763)
* 大衍暦(764〜856)
* 五紀暦(857〜861)
* 宣明暦(862〜1683)
* 貞享暦(1684〜1754)
* 宝暦暦(1755〜1797)
* 寛政暦(1798〜1843)
* 天保暦(1844〜1872)

単純に「旧暦」が一つだけあったわけではないんですね。
それにしても「日本の伝統」とかやんや言う人たちで"日本では長年「太陰太陽暦」を使ってたんで戻せ"と言ってる人あまりききませんね。僕が知らないだけなんでしょうか。まあ、これに限らず彼らは「日本」が好きではなく、「大日本帝国」が好きで幕末・明治以降のこの国が絶対的なスタンダードな「日本」だと思ってる節が・・・めんどくさいんでパス。
ただ、今「旧暦」に戻そうなんてしたら、アイドルカレンダーを印刷している台東区の印刷所が非常に困りますし、それを売ってる人、買ってる人がめちゃくちゃ困るんでね。
結局何が書きたいんだかわかんなくなった・・・
(たぶん書き直します)

*1:誤解なきよう。AYSさんのエントリーがここをスルーしたことを問題にしてるのではありません。僕が個人的に気になっただけです。念のため