20年後アマゾンにアップしようかと思って

果てしなき渇き

果てしなき渇き

さてさて、近年惜しまれながらもその幕を閉じた宝島社主催の「このミステリーがすごい!」大賞の第3回授賞作品は本当に「ノワール」なんだろうか。
当時この作品は若い読者レビューでは「本物の暗黒小説」なんてもてはやされていた反面、受賞時の選評で吉野仁に「似非ノワール」の烙印を押された。吉野はそんな反響を見透かしたように「トンプソンやエルロイに興味ないものが本物だともてはやす」なんてことまで言っていた。
どちらも間違っているのではないか。というのも作者は単純な(もしくは本格的な)「ノワール小説」を書くつもりはないんではないかと思うのだ。確かに元刑事の藤島部分だけに注目するとそういう印象を受ける。が、しかし、三年前の子供たちにまつわるパートだけを読んでみると、『ライ麦でつかまえて』『風の歌を聴け』『レス・ザン・ゼロ』といった「青春小説」の系譜として読めるではないか。
またこの作品対するよくある批判―「トンプソンやエルロイのような闇の深さがない」に対しても非常に違和感を覚えた。これはそれらの「ノワール」とは闇の種類が違うことが解ってない人間のたわごとに過ぎない。彼らがあげる先行のノワールの闇はそれは深いかもしれい。ただ、それはあくまでLAやシカゴといった本格的犯罪都市*1のものでしかなく、21世紀初頭の日本のどこにでもころがってた闇ではない。その闇は確かに深みはなかったかもしれないが、ふと気がつくと自分の隣にありそうなものなのだった。
ただ、そのようなそしりを受ける原因がこの作品にないわけではない。文章がどこか翻訳調であるように設定や人物描写も翻訳っぽいのである。このことを作者が消化・昇華しるのは、アメリカで起きた事件が原因で主人公が日本に帰国した後に物語が始まる次回作『ヒステリック・サバイバー』を待たなくてはならない。
耄碌じいさんどもがまたまた昔は良かったなんて戯言を吐き出したこの2027年、確かに今の世の中がクソなのは確かだが、爺さんたちが遠い目で懐かしむような素晴らしい日本なんてなかったのも確かなのだ。そんな妄言に耳を貸さないためにも深町秋生を読め。

なんてね。
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070111

QTと深町秋生

これ実は『果てしなき渇き』が文庫化されたらこことアマゾンにのっけようと思って書き始めたものだったのが、上記のリンク先のエントリがあまりに評判なのでちょっとそれにのっかかろうと書き替えてみたものなんですね。
で、実はすっぽり省いた分があって、それは

今更ハワード・ホークスとクエンティン・タランティーノを比べてみてもしようがないといっしょのことだ。

から始まってたんだけど、いくらなんでも20年後にQTにご登場戴いてもね、と思って消しちゃったのだ。
全然まとまんなかったというのもあるんだけど、QTと深町先生ってどっか共通点がありそうな気がするんですよ。
QTって
ナチュラル・ボーン・キラーズ 特別編 [DVD]』や

で強烈なデビューを果たし、
パルプ・フィクション [DVD]

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が90年代を代表する映画に選ばれたり、『ホステル』の製作総指揮したりで暴力を描く映像作家のイメージが強いけど
トゥルー・ロマンス [DVD]』がタイトルに偽りなしだったり、『
恋する惑星 [DVD]

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』が好きだったり、『ジャッキー・ブラウン [DVD]』もメロドラマだったりでけっこうロマンチストだったりするでしょ。
深町先生にそんなこと云うと「吐き気がするほどロマンチストだぜー」
STOP JAP(紙)

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っていわれそうだけど、『果て渇』の瀬岡と加奈子を『BR』時の藤原竜也栗山千明ではなく『セカチュー』の森山未来柴咲コウが演じてるとこ想像したらけっこう外れてないような気がするんですよ。
だからエルロイなんかとの比較にしても『暗黒街の顔役』と『レザボア』を比べてるくらいつまんないことじゃないかと思ったわけで。

*1:歌舞伎町だってそう。ただ、それ自体がとってもフィクショナルかもしれない